田島 だって、埼玉、海ねえから(笑)。他の奴らも長野や群馬の海なし県ばっかりよ。だからこそ船乗りへの憧れが強いんだけど、俺らは泳げねえ。もちろん教官は優しくなんて教えてくれねえから、放り出されてアップアップ、水ばっか飲んでて。
自衛隊のプールは飛び込みができるくらいだから、深いところで4メーターあるの。足がつかないから必死だよね。それでも半年くらいすれば、6時間の遠泳ができるようになるんだけど、脱走する奴は何人かいたな。
600人の同期と「毎晩、海岸でケンカ」
――海なし県の人にとって、船乗りは憧れなんですね。当時、何人くらい同期がいたんですか?
田島 舞鶴だけで600人だったかな。北海道から九州まで体格も体力も自信がある人間が入ってくるから、初めは入隊して毎晩、海岸でケンカしてよ。それで、毎朝、朝礼で教官から発表があるんだ。
――何の発表ですか?
田島 「昨夜のケンカで今日の入院は何人です」って(笑)。結局、「自分が頭になりてえ」っていう、つっぱった男ばかりが自衛隊に来る。俺なんかそいつらの中では体が小さいほうだから、力ではかなわねえ。だからハッタリきかして強い奴を自分の下につけちゃった。そいつは高校の全国相撲大会で活躍した奴で、自衛隊の相撲部でも目立っていたからみんな知ってるんだ。
――そんな強い人がなぜ手下に?
田島 やっぱり体のでっけえのは、気が弱いところがあるんだよね(笑)。それで、ケンカを売るのは俺なんだけど、そいつが後ろにいるから、もうみんな諦める。
それで、1カ月間ぐらい海岸でケンカしていると、50~60人くらいのグループが10個くらいできるんだ。うちのグループは俺や相撲部のそいつとか数人が頭になって、今度はグループごとに夜の海岸に集まってバカ話で盛り上がる。
――1カ月、男が海岸でケンカしていると、自然と組織ができ上がるんですね。
それでも2年で自衛隊を辞めたワケ
田島 そう。そうなると、ほんと楽で。食堂でも並ばないでいいし(笑)。ただ、何もしないで、頭として認められるわけじゃない。自衛隊はだいたい18歳で入るから、タバコとかいけねえわけなんですよ、一応は。でも当時は吸わねえ奴はいなかった。それである日、便所で隠れて吸ってボヤを起こした奴がいたんだよね。
そしたら教官が「誰がやった?」って。でも、罰が怖くてやった奴は名乗り出ねえ。案外、そういう時って、人は手を上げられねえもんなんだ。それで600人全員が3時間ぐらい正座させられたり、グラウンド走ったりで、いつまでも終わらねえの。それで、しょうがねえから俺が身代わりで名乗り出てよ。
――田島さんがボヤを起こしたわけではないのに?
田島 そう。一人が犠牲になれば、そこで終わるから。そんなことが何回かあってから、まわりから自然と一目置かれるようになって。まあ、力とか頭とか自分の足りねえところは、そうした行動で補って自衛隊の中では生き抜いてきたかな。そん時に仲良くなった奴らとは、半世紀たった今でも続いてるの。今、ボランティアで被災地を回る時でも、自衛隊員だった全国の仲間が応援してくれるんだ。
――すごい男社会というか、厳しい中でも、楽しそうに聞こえるんですけれども。
田島 ああ、ものすげえ楽しかった。一方で「これでいいんかな?」と疑問も湧いてよ。結局、俺なんかの頃の自衛隊は訓練の時は厳しいんだけど、それが終わったら案外、生ぬるいんだよ。だって船に乗って、毎日、飯を食って戦争もねえからただ体力温存してるだけ。
世界を見れば冷戦で、国の中は学生運動とか、世の中が混乱してる。ちょうど70年安保闘争のころだったから、右も左も、いいか悪いかはともかく同じ年代の奴らは国を良くしようと、いっぱい頑張ってるわけだよ。それなのに、俺らはこんなに毎日、楽しくやっている。社会から取り残されちゃうんじゃねえかなと。
――楽しすぎて拍子抜けしてしまったということでしょうか。