窃盗犯罪を担当する捜査三課は、殺人や誘拐などの凶悪犯罪を担当する捜査一課と比べて、刑事ドラマの題材になりにくい。しかし重要な部署であることに間違いはなく、特に現行犯逮捕は刑事の捜査テクニックが物を言う難しい仕事である。
ここでは「グリコ・森永事件」「神戸連続児童殺傷事件」などを担当した元捜査一課長・山下征士さんによる著書『二本の棘』から一部を抜粋。山下さんが捜査三課で経験を積む中で関わった「国鉄集団スリ事件」について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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捜査三課の「スリ係」
犯罪は、時代を映し出す鏡である。私が警察官になった1958(昭和33)年ごろの日本は、豊かな生活を送る人がまだ少なかった。国民は生きるために懸命に働いたが、その一方で生きるための犯罪も多かった気がする。
私が捜査三課で最初に担当させられたのが「スリ」だった。混雑した場所や泥酔者を狙う「スリ」は、昭和を象徴する犯罪のひとつである。当時はまだ電子決済がほぼなかった時代で、誰もが財布のなかにいくばくかの現金を入れ、それを持ち歩いていた。毎月の給料やボーナスもすべて現金支給。「スリ」が暗躍できたのは、そんな時代背景があってのことである。
電車や船、デパート、市場、そして競馬場や競輪場といったギャンブル場。被害届が多く出される場所に張り込み、スリをつかまえる。この仕事は、誰かが手取り足取り教えてくれるわけではない。というより、聞いたとしても教えてくれないことが多い。先輩刑事の後について、見よう見まねで技術を習得していくしかない。
刑事の評価を決めるのは、どれだけ犯人を挙げたか、その実績である。もちろん、組織内部で昇進するためにはそれ以外に試験もパスする必要があるのだが、実績をまったくあげられないのではそもそも刑事に向いていないと判断され、内勤に回されることもある。
兵庫県警には戦前、「スリ検挙日本一」と呼ばれた林順二(はやしじゅんじ)さんという名刑事がいたこともあり、当時の三課の刑事たちには「俺たちこそ日本一」という誇りがあった。ちなみに私の直接の上司だった坂本義夫(さかもとよしお)係長(当時)は、この林さんから直接技術を学んだスリ捜査のエキスパートであった。
不思議なもので、毎日のように通勤電車に揺られ不審な人物がいないかどうかを観察していると、やがてスリの存在を見破れるようになる。ただし、ここで注意しなければならないのはスリを観察している自分自身も、不自然な動きになりがちということだ。つまり、スリを見つけようとすればするほど、スリ犯に気づかれる可能性が高くなる。
ある先輩刑事からはこんな話を聞かされたことがある。姫路駅でスリ集団が出没したのを発見し、厳重にマークを続けたが、なぜかこの日に限ってなかなか「行動」に出ない。