昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集女芸人の今

2022/04/15

「私、東京に進出したかった」と夫の前で言ったら

――もし自分が東京で仕事をしていたらどうだったんだろう……と考えたことはありますか。

上沼 それはあります。一回関テレの番組で、ハワイのロケがあって。うちの別荘で主人やみんなと飲んだり食べたりして、その時、私、ちょっとぐでんぐでんになりましたね。「私、東京に進出したかったわ」ってみんなの前で言ったことがあります。「ちょっと悔しいな」って。

 みんながホテルに帰って夫とふたりになった時「君はそんなこと考えていたのか」と言われました。「え? そうよ」って言ったら、意外な顔をしてましたね。「僕を裏切って、よく生きてきたな。とんでもないわ」みたいな顔でした。東京に行きたいと思うだけでもダメ、みたいね。

 

――思うだけでもダメ……。

上沼 やっぱりね、芸能界を志したかぎり、東京やないとあきませんよね。大阪に留まって頑張ってる子たちには「大阪で頑張って、大阪を盛り立ててね」って言うてますが、やっぱり東京ですよね。

 なんでかというと、私の『快傑えみちゃんねる』が一番面白かったと思うんです、番組の中で。誠心誠意やってました。あの汗、あのおしゃべり、あれだけのエネルギー……キー局からやったら一発で売れてただろうなと思います。

 やっぱりね、革靴の上から水虫掻いてるようなもどかしさというのは、大阪はあるんです。いくら頑張ってもローカルタレント……というのが私の中でちょっとムッとしたところです。どれだけ汗を流そうと、どれだけ喉に筋立ててしゃべろうと、一緒やねんなというのは思いましたね。

 だから「M-1」で暴言吐いた子もわかります。私を知らなかったんだと思いますから、仕方ないです。ローカルタレントの寂しさですね。あれは虚しい朝でした。

――「暴言」というのは、とろサーモン久保田かずのぶさんとスーパーマラドーナ武智さんのインスタライブの件ですね。

上沼 家にもいっぱいマスコミが来たんですよ。私が怒り散らすと思ってたみたいなんですね。私、どうでもよかったんです。暴言はけしからんと思います。

 まあでもね、若い人はみなさんご存じないです。チャッとやめましたからね。チャチャッと働いてチャッとやめて、結婚して、ダッと子供産みましたから。それはわからないのは無理もないです。島田紳助さんが悪いんですよ。

 

――審査員に引き込んだ。

上沼 そうです。それなのに、紳助さん、先にやめましたからね。だからYouTubeのゲストにね、紳助さんには絶対来てもらおうと思うの、責任とって。あの人は断れないと思いますよ。

――「M-1」のあの騒動の時の上沼さんは「関西でたくさん番組を持っている権力のある女性」みたいな言われ方をされていました。

上沼 そうです、そうです。

z