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――学校に行けなくなりますね。

上沼 学校は行かなくなりました。だから中退です。

 元旦なんか、東京大阪の飛行機を1日2回乗りましたから。コント55号が司会で、明治神宮とフジテレビのスタジオと、大阪の劇場もつないでたかな。東京のスタジオにも300人ぐらいお客さん入れて、そこで漫才1発目やって、大阪帰ってきて劇場やって、もう1回東京に行って。元旦は航空会社が干支の置物くれるので、その置物の数でどんだけ飛行機乗ってたかわかる。

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 だから漫才師の時代も大活躍はさせていただいてたんですよ。でも、結婚して子どもができてからの方がさらに忙しかった。

一番多忙だった、40代半ばの頃のスケジュール

――一番忙しかった時の1日のスケジュールってどういう感じだったんですか?

上沼 そうですね、44、5が一番忙しかったかな。土曜日は朝のワイドショー『いつでも笑みを!』を関西テレビから全国ネットでやってたんですね。それが8時半にスタートですから、5時に起きて朝風呂入って、それから顔塗って。特殊メイクなんで時間もかかる。

 それが終わって今度は読売テレビに行って『週刊えみぃSHOW』。それをやって帰って来るのが3時ぐらいかな。帰りの車でスーパー寄ってもらって、夜ご飯をチャッチャッチャッチャーと作ってたらもう子供たちが帰ってくるという感じですかね。

 

――聞いているだけでも目が回りそうです。

上沼 レギュラーは、NHKもやってたし、全局やってたんですよね。ABCは『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』とラジオとやってました。『えみちゃんねる』もあったし、その時は関西タレントで、納税額1位になりました。

 あれ、新聞社から電話かかってくるんですよ。「納税額1位おめでとうございます」って。何にもめでたくないんですが。「感想は?」とか言われるんですよ。「しんどいです」って答えたら「わかりました」って。ええんかいそれで。

――結婚当初はとても小さいお家に住んでらっしゃったと、朝日新聞の連載で読みました。

上沼 結婚した時ね。18坪言うたらわかりますか。そこに主人と母が住んでいて。そこへ嫁いでいったわけです。まあ、1年で引っ越しましたけど。子供もできて、その時45坪ぐらいになりました。

 それから着々と……私何軒も持ってたんです。8軒ぐらい買ったのかな。1回計算したことがあって、固定資産税思ったら気が遠くなりましたわ。ハワイにも2軒持ってた。それから今、別居してる主人が住んでるマンションですよね。姑さんが絵を描くためにアトリエとして買ったマンションなんてのもありました。

――すごい。

上沼 姑とちょっとでも離れたかったから(笑)。そんなのも全部キャッシュで買いました。この家もキャッシュです。