「お給料、いくらもらってるの」と言えなかった新婚時代
――新婚時代からお姑さんと同居は、嫌ではなかったですか?
上沼 そんなもんだと思ってました。レギュラー13本投げ打ってでも結婚したかったんです。結婚して、18坪の狭い狭い家。ほんとに寂しい22歳の新妻だった。
うちの旦那は入社から定年まで自家用車で会社に通った人なんですよ。関西テレビの前のパーキングを借りっぱなしにして「上沼様」って。そんな人、社長でもいないですよね。
――その美学をずっと上沼さんが支え続けた。
上沼 そうですね。「お給料全部ちょうだい。一体なんぼもらってるの」って言えなかったんです、好きだから。結婚する時に、私もある程度お金持っていきましたしね。でもね、1年で200万使っちゃったんですよ。これはあかんと思って、ちょっと働き出したんですね。
お金のためもありましたけれども、仕事はリフレッシュでもありました。まだ燃え尽きてませんでした、私。結婚して明くる年の7月に復帰してます。
土井勝先生という方の、料理番組。関西テレビです。月に1日行ったら4本撮ってくれる。それで、国民健康保険になりました。私、23から自分の保険です。今、主人は定年になって私の保険使ってます(笑)。チキショー。
――(笑)。
上沼 それなのにね、市役所からこんなペラペラの保険証がくるじゃないですか。それは世帯主の夫の名前で来るんですよ。夫が封筒を破って「ああ保険証だ」って、ピュッと投げるんですわ。
それを私がパッと取って「ありがとう」って。これ、誰払ってる? 23から私、払ってる。それにあなたは乗っかったんやんか、15年前に! あと、保険証はもうちょっといい紙で作ってほしいですね。
――仕事に復帰される時もいくつか条件があったそうですね。泊まりの仕事はだめとか。
上沼 そうです。歌うたったらあかん、芝居もあかん。西は姫路まで東は琵琶湖まで。泊まりはだめ。色々言われましたね。
――自分の年収を超えてはいけないというルールもあったと。
上沼 そうです。すぐ超えました。次の年に超えました。ハッハッハ、ざまあみやがれ。
――そんな理不尽な条件も飲んで、お金も稼いで、子育てして、家事やって、お姑さんとも同居して。どうしてそんなにがんばれたんだと思いますか?
上沼 できますってみなさん、それ与えられたら。だって他を知らないもん。知らないって怖いですね。周りの人より私の方がようさん働いてるとも、知らない。楽しくはなかったですけど。皆さんに言われます、「よくやりましたね」って。
写真=釜谷洋史/文藝春秋