家事はすべて妻任せだった父が…
家事はすべて妻任せで台所に立ったことすらなかった父は、95歳にして初めて包丁で林檎の皮を剥いた。90度に曲がった腰でスーパーまで買い物に行き、帰り道、重いビニール袋を両手に提げ、息を切らして時折立ち止まってしまうが、「何事も立たねばすまぬ。すまぬぞ!」と自分に発破をかけて歩き出す。「お父さんが掃除機をかけよる!」と驚く信友さんに、良則さんは「まあ、これも運命よ。さだめじゃわい」と答える。
驚くのは、両親が暮らす呉市の実家が、バリアフリーには程遠い昭和の昔ながらの一軒家で、良則さんは朝晩の布団の上げ下ろしまでやっていることだ。2層式洗濯機を愛用し、時にはタライで手洗いをする。几帳面だった文子さんは1週間ごとに掛布団の顔が当たる部分のタオルを新しいものに縫い付け直していたが、父は裁縫箱を取り出して、妻がやっていたようにひと針ずつ丁寧に縫い付けていく。初夏には紫陽花が咲く小さな家での暮らしが映る画面には、信友さんが好きだと言う小津安二郎や向田邦子の映画のような郷愁が漂う。
「昔の父は一日中座って本を読んでいる人でしたから、こんなに家事のポテンシャルがあるなんて思いもしませんでした。90代になっても人はこんなに進化できるんだと感動すら覚えました。聞けば、裁縫は兵隊にいっていたときに覚えたそうです。最近はバリアフリーよりも、ある程度の段差や障害があるほうが年寄りにはかえっていいと言われてきているそうですよ。特に、うちは母がお嫁に来たときから変わっていないので、ケアマネージャーさんとも相談して、長年慣れ親しんだ風景を変えないことにしました」
紆余曲折を経て自宅での介護サービス利用が始まり、ほっとしたのも束の間、2018年の映画公開直前に母が脳梗塞で倒れ、入院を余儀なくされる。父は毎日1時間かけて病院に通い、「おっ母が家に帰ってきたときのために」と98歳にして筋トレを始めて周囲を驚かせる。母は、一時は歩いてリハビリができるまで回復するが、やがて、2度目の脳梗塞を発症し、寝たきりになってしまう。追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスが猛威をふるい、面会すらままならなくなる──。
前作では老老介護、遠距離介護、今作では、看取り、延命治療、終活という現代社会が抱える問題が浮き彫りになっているが、信友さんが描き出したかったのは、「その向こうにあるもの」だという。
酸素マスクの下で、「何もしてやれんとごめんね」と謝る母。もう返事をすることも出来なくなった妻の枕元で「元気になったら、ごちそうでも食うかい。わしはハンバーグが食いたいんじゃ」と語りかけ、危篤に陥ったときには「ありがとね。わしもええ女房をもろうたと思うちょります」と声に出して伝える父。