2018年にたった1館の上映でスタートしたにもかかわらず、口コミで約100館まで広がり、動員20万人を超える異例の大ヒットとなった映画がある。フリーの映像ディレクター、信友直子さんが監督を務め、広島県呉市の実家で暮らす認知症の母と耳の遠い父を撮り続けたドキュメンタリー『ぼけますから、よろしくお願いします。』だ。
しかし、映画の公開直前に信友さんのもとに父から「おっ母がおかしい」と電話が入る。脳梗塞で救急搬送され、そのまま母は入院することに──。このたび公開される続編『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』は、前作の「その後」も含めてすべてを描き切った集大成となった。
“スーパー主婦”の母がアルツハイマー型認知症に
「もともと、家庭用のビデオカメラを2000年の暮れに買って、両親が元気な頃から2人を撮っていたんです。カメラマンを同伴せずにディレクターが小型カメラで取材をすることが増えてきたので、練習台になってもらっていたんですが、最初はカメラを向けると2人とも緊張でガチガチに固まってましたね。その頃はまさか映画になる日が来るなんて思いもしませんでした」
信友さんの母・文子さんは、家事一切を完璧に取り仕切るスーパー主婦だった。幼い頃は、「メアリー・ポピンズが傘をさして空から降りてくるときに着ているようなコートやマフラーがほしい」と言えば手作りしてくれ、流し台のステンレスはいつも顔が映るほどぴかぴかに磨き上げられていた。社交的で、冗談が好きで、ひとり娘の信友さんが45歳で乳がんの摘出手術を受けたときも「お母さんの垂れたボインでよかったらいつでもあげるんじゃけどね~」と明るく励ましてくれた。
そんな母の様子がおかしくなったのは2012年のこと。アルツハイマー型認知症と診断されたのは、その2年後、85歳のときだった。独身で東京で仕事をしていた信友さんに、当時93歳だった父の良則さんは「わしが元気なうちはわしがおっ母の面倒をみるけん、あんたはあんたの仕事をしなさい」と言う。
そうして、老老介護×遠距離介護の日々が始まり、実家に帰るたびに信友さんはカメラを回した。明るく、しっかり者だった母が「私はもう死にたい! 包丁持ってきて! みんなの邪魔になるけん死んじゃる!」と肩を震わせて泣いているところも、洗濯の仕方がわからなくなり、廊下に広げた汚れ物の山の上に体を丸めて寝そべってしまうところも、娘のカメラはありのままに写している。