2010年代半ば、吉田羊は彗星の如く私たちの目の前に現れた。
夜空に美しい尾を引く彗星とて、一瞬で誕生したわけではない。放つ光を私たちが目視できたのが、たまたまそのタイミングだったというだけの話だ。
一般的な惑星が太陽を中心に円を描くのとは対照的に、彗星は独自の軌道を描き太陽に近づいてくる。突然、夜空に現れたように見える理由はそれだ。
その点において、吉田羊も彗星のような俳優と言える。芸能惑星の軌道がスカウトやオーディションから始まるとするならば、吉田羊という彗星の描く弧は、確かに異質だ。
下北沢。待ち合わせ場所に少し早めに到着すると、前方から黒ずくめの吉田が歩いてやってきた。柔らかい笑顔と、気さくな声色。いつ会っても心の垣根がないことに驚かされる。今日はオーラを完全に消し、心地よさそうに街に埋没していた。
小劇団からキャリアをスタートした彼女にとって、下北沢は馴染みの街だ。
「大学のために出てきたんです。中国語を勉強したくて、中国語中国文学科に入りました。でも、就職活動で周りがざわざわし始めたときに、まったく興味が持てなくて。何をやりたいかと考えて、俳優をやってみようかしらと飛び込んだのが、小劇場の世界。初舞台は下北沢の『劇』小劇場でした」
ふと目に留まった雑誌の役者募集に応募し、見事合格。養成所や芸能事務所の所属を経ることなく芝居を始め、スポットライトの下で拍手喝采を浴びる喜びを知る。小劇場中心の活動は10年。下北沢の劇場にはほとんど立った。
「『劇』小劇場、OFF・OFF、駅前、それからスズナリもやりました。でも、本多劇場はやっていないんです。本多は、憧れの場所だったの」
この時代を「下積み」と言われることに違和感があると、吉田は各所のインタビューで答えている。現在の主戦場である映像の世界への通過点ではなかったからだ。
「初めて、役を生きている実感が」
大学卒業後、小劇団で順調にキャリアを積んでいた吉田は、現在も俳優、劇作家、演出家として活動を続ける比佐廉と、制作を担う石津陽子とともに劇団「東京スウィカ」を立ち上げた。27歳のことだ。