令和2年3月29日(日)に、タレント・芸人・歌手・俳優で、ザ・ドリフターズの一員・志村けんさんが亡くなってから早2年……。やはり志村さんの前にも後にも志村さんはなく、志村さんなき穴は埋まらない。

 残された我々ファンには、その思い出を語り、偉業を讃える他はない。今回は、筆者がテレビ雑誌の記者として取材した中で耳にした逸話の幾つかを紹介していきたい(取材時期は’92~’95年頃)。

©getty

「なんかこの人、馴染んでないなぁ」からのスタート

 志村さんは、1950(昭和25)年2月20日生まれの東京都ご出身。代表曲「東村山音頭」で一躍故郷を全国区にのし上げた功績を讃えられ、現在、東村山駅前には志村さんゆかりのけやきの木が植えられ、銅像が建立されている。

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「東村山音頭」は、体力の限界を理由にドリフを脱退した先輩・荒井注さんに代わって、‘74年から正式に加入した志村さんの運命を変えた一曲だ。

 加入直後は決して順調ではなかった。当時、一視聴者だった筆者が『8時だョ!全員集合』(’69~’85年)などを観ていても「なんかこの人、馴染んでないなぁ」と思ったり、学校の友人も「やっぱ荒井注の“なんだバカヤロー!”の方がよかったよね?」などと言い出す始末。

 その志村さんを、加トちゃん(加藤茶)に並ぶドリフの“2大トップスター”に大ブレイクさせたのが、ゲストとの歌のコラボコーナー「少年少女合唱隊」で突如披露したこの歌だった。

「あれなー、イマイチうけなかったんだよね」と…

 以後、同コーナーからは「ディスコばあちゃん」や「ドリフの早口ことば」などのヒット曲が生まれるが(「ヒゲダンス(ヒゲのテーマ)」は別の独立コーナーとして登場)、そこまでのヒットには至らなかった曲に「ドリフのわんダー・ドッグ」がある。

 これは、「ヒゲダンス」と同様に主に加トちゃんとのコンビ(他メンバーが加わることもあった)で、顔の出る犬のマスクを被った二人が「わん わん わん わんわん♪」と歌い、最後にマイクをぐるぐる回す、ロック調のパフォーマンスを披露して終わるもの。