通称「シリアス無言劇」。全編、サイレント(セリフ・効果音なし)のモノクロ映像に世界的オカリナ奏者・宗次郎の「悲しみの果て」をBGMに乗せて、例えば志村さん演じるひとりの老人が、親兄弟や友達、妻子らとの出会いと別れ、死別、その他いろいろな人生の紆余曲折を、まるで走馬灯のようにプレイバック。気がつけばその老人は……という内容で、かくいう筆者も初見のときは呆然とした。
今で言う、ハイクオリティなショート・フィルムともいうべき内容で、子どもにこれは良い意味でキツかった(難解だった)ことだろう。
「邦画なんかも好きなんだよ」
このコントに関して、思い出すことがある。志村さんの映画・ドラマ好きは有名な話。とりわけ映画ではチャールズ・チャップリンが大好きというお話もよくされていたが、収録合間の雑談で「志村さんの映画好きは有名ですけど、チャップリン映画以外だとどの辺がお好きなんですか?」と伺ったときのことだ。
「意外に邦画なんかも好きなんだよ。『砂の器』とか」
予想外のお答えに私が「え!?」と思う間もなく「志村さん、お願いしまーす!」とスタッフが呼びに来られて行ってしまわれた。
『砂の器』は’74年公開の松本清張原作/野村芳太郎監督の長編映画で、その後テレビドラマ等で何度もリメイクされている。
特に、芥川也寸志の名曲「宿命」に乗せて、真犯人・和賀英良が子供時代、病身の父親・千代吉(加藤嘉)とともにお遍路さん姿で放浪。行く先々で謂れなき迫害を受けつつ、父子二人で支え合って生きて行く姿を、日本の四季の美しい映像を通して描く手法は語り草となった。
“ひょっとして志村さんのあの老人回想コント劇は『砂の器』にヒントを得て……”などと思う。もちろん『砂の器』だけでなく、さまざまな映画やドラマの手法が盛り込まれているのは明白だが、あのときのやり取りで、どこか根底にはそのイメージがあったように思えてならない。これももう、確かめる術はなくなってしまった。