番組作りに受け継がれていった「視聴者撮影映像」の手法
『全員集合』終了後、加トちゃんとの名コンビ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(’86~’92年)がスタート。志村さんの映画・ドラマ指向が強く反映された中編コント劇「探偵物語<THE DETECTIVE STORY>」を筆頭に、様々なコーナーで構成された番組でこちらも人気を博した。
これは収録休憩時に共演者やスタッフとお話ししていたのを小耳に挟んだものだが、
「あの番組でさ、[おもしろビデオコーナー]っていうのがあったんだけど、あれ結構自慢なんだよ。うちの赤ちゃんが転んで泣いて……みたいなビデオを送ってもらってそれを流したの。ゴールデンでそういうことやったの、うちらが初めてだったんじゃない?」
確かに、ニュースや報道番組以外で、視聴者撮影の動画、しかも家庭用ビデオで撮影した映像が毎週定期的にゴールデンの番組で流れたのは、少なくとも日本ではこの企画が初だろう。
放送局であったTBSは後に、このノウハウを活かして『さんまのSUPERからくりTV』(’92~’14年)等で視聴者募集のビデオ映像を効果的に番組で流すようになっていく。現在の視聴者撮影動画で構成されたハプニング映像系番組にも受け継がれていったといえるだろう。
宮藤官九郎のトラウマになった「だいじょうぶだぁ」のコント
志村さん、そしてドリフは偉大なる“発明家”でもあった。なお、後に番組タイトルにもなる名フレーズ「だいじょうぶだぁ」もこの番組から生まれた。
『ごきげんテレビ』の後、『ドリフ大爆笑』、『志村けんのバカ殿様』シリーズのフジテレビで、いよいよ志村さんのピン立ち(冠)番組がオンエアされた。『志村けんのだいじょうぶだぁ』(’87~’93年)である。
この番組に、脚本家・俳優としても著名な宮藤官九郎さんが“子どもの頃に観てトラウマになった”というコントがある。