間違いの消し方
言葉にしてしまうと当たり前に聞こえるかもしれませんけど、僕にとってはコロンブスの卵的な大発見でした。すごい!と。
それまで僕は、間違いとは、指摘して正すのが当たり前だと思っていました。でも、そうじゃない。その場にいる全員が間違いを受け入れてしまえば、間違いというものはなくなるんだ。こんな間違いの消し方があるなんて─。
目から鱗がボロボロ落ちまくっていたら、パッとあるワードが浮かびました。
「注文をまちがえる料理店」。
そして、このワードとともに、頭の中に映像がぶわーっと広がったのです。
僕は「注文をまちがえる料理店」という看板が掲げられた、おしゃれなお店に行く。「いらっしゃいませ」と、かわいいエプロンをつけたおばあさんが出迎えてくれて、「何になさいますか?」と聞かれるので、「ハンバーグ」と注文をする。
「お待たせしました~」と料理が運ばれてくるが、なぜか僕の目の前には餃子。でも、お店の名前が「注文をまちがえる料理店」となっているから、僕は怒らない。むしろ、間違われてうれしくなっちゃうかもしれない。餃子を食べながらふふっと笑っているかもしれない――。
なんだこれ。めちゃくちゃおもしろいし、絶対に見てみたい、絶対に作ってみたい。そう思いました。
ハンバーグが、餃子になっちゃった。
これが、注文をまちがえる料理店という企画の「原風景」なんです。僕の中では、この原風景が企画の原点であり、同時に企画の到達点になったんですよね。
だから、「まちがえちゃったけど、まあ、いいか」という、みんながとまりたくなったこの「指」=コンセプトは、和田さんの施設で「ハンバーグが、餃子になっちゃった」という原風景を見た時に、僕が感じた気持ちを素直に言語化したものなんです。
もしこの原風景がなかったら、もっと違う言葉を使っていたかもしれませんし、いや、そもそも「注文をまちがえる料理店」はこの世に生まれていなかったと思います。
企画を考える時に、「コンセプトが大事だ」ってことはよく言われますよね。その時、一度立ちどまって、自分が本当に心動かされた「原風景」ってなかったかな?と思い返してみるといいかもしれません。そして、もしそんな素敵な「原風景」が見つかったら、自分がいったい何に心動かされたのか、ということを深掘りしてみるとかなりおもしろいと思います。
地に足のついた、嘘のない、気持ちのこもったコンセプトは、そんなところから生まれるものだったりもします。
【後編に続く】