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「まちがえちゃったけど、まあ、いいか」という寛容な世界観

 実際に「注文をまちがえる料理店」では、大阪から夜行バスに飛び乗って翌朝6時からレストランの前で開店待ちをしていたお客さんもいました。理由は、「間違いや失敗を許さない会社の雰囲気に辟易としていたから」。「注文をまちがえる料理店」のニュースをSNSで知って、いてもたってもいられなくなり、気がついたら夜行バスに乗っていたそうです。

 アメリカから来たジャーナリストからはこんな風に聞かれました。

「この料理店は、トランプ政権へのアンチテーゼと捉えてもいいか?」

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 僕の頭の中は「???」マークだらけでしたが、彼の理屈は「今(2017年当時)トランプ政権は、自国第一主義でメキシコ国境に壁を作っている。一方で、この料理店にはまったく壁がない。みんなが、当たり前のように一緒にいる。だから、この料理店はトランプ政権への強烈なアンチテーゼに感じたんだ」ということでした。

 なるほどなぁと思いました。彼にとって、この料理店は寛容さや共生の象徴と感じられたようなのです。もちろん僕の中でトランプ政権へのアンチテーゼという考え方は微塵もなかったので、「僕にはそういう意図はないけど、あなたがそういう解釈をするのは自由だし、ユニークだと思いますよ」と答えておきました。

 もし、「注文をまちがえる料理店」のコンセプトを、「認知症の方が、キラキラ輝く社会を作る」にしていたらどうだったでしょうか。

 福祉に興味や関心がある方には響くかもしれませんが、夜行バスに飛び乗ってでもお店に行こうと思う人は現れたでしょうか。メキシコとの国境に「分断の象徴」としてそびえたつ壁に思いを馳せる人が現れたでしょうか。おそらく現れなかったと思います。

 認知症というテーマに興味を持っていた人だけにとどまらず、本当に多くの人がこの料理店に引き寄せられた理由は、「まちがえちゃったけど、まあ、いいか」という言葉に象徴される、寛容な世界観にあったのかなと僕は思っています。

写真はイメージです ©iStock.com

 みんながとまりたくなるような「指」=コンセプトを考えようと思った時、僕はいつも、自分の中にあるリアルな風景を引っぱりだしてきて、その風景をできるだけ分かりやすく言語化するようにしています。

 自分が実際に見たり、触れたりした時に本気で心が動いた風景─僕は企画の「原風景」と呼んでいますが、これを大切にしています。

 この「原風景」がないと、コンセプトが机上の空論に終わってしまったり、ものすごく薄っぺらい、言葉遊びのようなものになってしまうことが多いと思うんです。

「注文をまちがえる料理店」にも、「原風景」がありました。