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「注文をまちがえる料理店」の企画のきっかけ

 この企画のそもそもの発端は、2012年に、僕がNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の取材で、認知症介護のプロフェッショナルの和田行男さんに密着した時にさかのぼります。

 今から30年ほど前の頃は、認知症になると、多くの行動が制限されることが当たり前とされていました。施設の中に閉じ込められたり、薬物で眠らされたり、椅子やベッドに縛りつけられたり……。和田さんはそうした状況に強い疑問を感じ、「認知症になっても、最期まで自分らしく生きる姿を支える介護」を目指して、認知症のお年寄りたちが、家庭的な環境のもと、少人数で共同生活を送る「グループホーム」で先駆的な取り組みを続けてきました。

 ですから和田さんの施設では、認知症であっても、自分でできることは自分でするのがルールです。包丁を握り、火を使って料理をし、掃除、洗濯を行い、街へ買い物や散髪にもでかけていきます。もちろんすべてを完璧にこなせるわけではないので、ちょっとずつでてくるズレを和田さんたち福祉の専門職がそっと支える。それでも、けがや事故のリスクは常にあります。だけど和田さんは「自分の意思を行動に移せることこそが人間の素晴らしさやから、その素晴らしさを奪ったらあかん」と言いきるのです。

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 それまで認知症の取材をしたことがなかった僕は、度肝を抜かれました。

 恥ずかしながら、僕の認知症へのイメージは、「記憶障害」「徘徊」「暴言」「妄想」というもので、基本的にはネガティブな印象しか持っていませんでした。そして、認知症になったら、施設でぼんやりと過ごすしかないのかな……くらいに考えていたのです。

 でも、目の前に広がる風景の「ふつうさ」といったら。

 炊事、掃除、洗濯は当たり前。さらにグループホームから700メートルほど離れた市場まで、みんなでお買い物にもガンガン行きます。市場に到着して買い物が始まると、その姿はまるでどこにでもいるおじいさん、おばあさん。言われなかったら、どこに認知症の状態にある人がいるのか分からなくなるほど、街に溶けこんでいたのです。

 僕は、自分が認知症に対して持っていた思い込みを恥ずかしく思いました。

 そんなことを思っていたとある日に、ちょっとした「事件」が起きました。ロケの合間に、入居者のおじいさん、おばあさんが作るお昼をご馳走になることがよくあったのですが、その日のお昼ごはんには強烈な「違和感」がありました。

 僕が事前に聞いていた献立は、ハンバーグ。でも、目の前に出てきたのは餃子です。いやちょっと待って。ひき肉しか合っていませんけど……。

「これ、間違いですよね?」

 そう言おうと思った時に、ハッとして、僕はその言葉をぐっと飲み込みました。

「これ、間違いですよね?」というその一言によって、和田さんたちが認知症の状態にある人たちと一緒に築き上げてきた「当たり前の風景」を、全部ぶち壊してしまうような気がしたのです。

「こうしなくちゃいけない」「こうあるべき」。そういった考え方が、どれだけ介護の現場を窮屈で息苦しいものにしてきたか。そのことを和田さんからはさんざん聞いていたし、そんな介護の現場を変えようと日々格闘を続けてきた和田さんを取材している僕が、なぜハンバーグと餃子の間違いくらいにこだわっているんだと、めちゃくちゃ恥ずかしくなりました。

 ハンバーグと餃子ですよ。別にそれくらい間違えてもいいじゃないですか。だって、おじいさん、おばあさん、めっちゃおいしそうに餃子をパクパク食べていますよ。

 そして、その時気づいたんです。

 間違いって、その場にいる人が受け入れてしまえば、間違いじゃなくなるんだ。