1ページ目から読む
2/4ページ目

刑務官に「この野郎!」

「樋田は小学生の頃から“調子乗り”で、路上で客引きをやるホステスのような声色を真似て『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と言ってふざけていました。中学卒業後は大阪府立の工業高校に入学しましたが、車の窃盗事件を起こして退学。仲間と一緒に少年院に入ったと聞きました」

 樋田は約3年前にも窃盗事件などを起こし、今年四月まで大阪刑務所に収監されていた。当時、樋田と同じ雑居房で暮らしていた元受刑者が打ち明ける。

「樋田くんと一緒の雑居部屋になったのは15年12月。6人部屋で彼は一番年下やったけど、先輩には終始敬語でペコペコするタイプで、全員から可愛がられとった。雑巾で部屋の掃除をやろうとするから『気ぃつかうな』って言うたよ」

ADVERTISEMENT

 樋田が配属されたのは靴などの革製品を製造する工場。ミシン作業などを黙々とこなしていたという。

「朝7時40分から作業を始め、昼休みを挟んで終わるのが夕方4時過ぎ。僕は30人近くを束ねる班長だったが、彼は覚えも良く、真面目やったね。『俺の仕事、彫師なんや』と明かすと、『僕にも(刺青を)入れてほしいです。兎の絵柄が好きなんですよ』って言うてましたわ」(同前)

 大阪刑務所に入所前、樋田は、大阪市内の大型商業ビルにあるお好み焼き屋で「接客の仕事をしていた」と周囲に語っていた。

「ある日、彼は雑居部屋で数枚の写真を見せてきたんですが、そこには元SPEEDの上原多香子さん、(上原の元夫の)ET-KINGのTENNさん(故人)と共に樋田くんが笑顔で収まっていた。なんでも店のオーナーが上原さんと知り合いで、みんなでバーベキューをしたときに呼ばれたと言ってましたね」(同前)

 別の刑務所仲間も明かす。

「逮捕時、樋田は改造車を乗り回すグループに所属。メンバーの女性と交際しており、ツーショット写真を刑務所内で見せびらかしていました。自費で下着類や日用品を買えないほど金がなく、私が出所して間もなく彼から『3万円を差し入れて。約束は守ってください』と、上から目線の図々しい手紙が届きました」

 その一方で刑務所生活の鬱憤は、日に日に蓄積されていったようだ。

「当時、彼は40歳前後の担当(刑務官)と折り合いが悪く、『あの担当は俺のこと嫌いやから。態度も偉そうですわ』と文句を言っていた。『辛抱せえや』と言うてたんやけど、彼は担当に『この野郎!』と暴言を吐いてしまい、背負い投げを食らったようです。約7日間、懲罰房にぶちこまれ、別の工場に移ることになった」(前出・元受刑者)

 樋田は今年4月の出所後、刑務所仲間にLINEで近況報告をしている。