将棋を始めたきっかけ、今期の振り返り、今後の目標
将棋会館4階の大広間で、新四段2名の記者会見が始まった。取材記者それぞれが質問をぶつけ、両者が順番に答えていく形である。
――四段昇段が決まった瞬間は?
岡部「1局目の結果を確認して、ホッとしました」
徳田「1局目で決まったのは運がよかったです。2局目は残念でしたが」
――これからの目標は?
岡部「研究会でお世話になっている多くの先輩と公式戦で指したいですね」
徳田「一人の棋士として、憧れられる存在になれればと思います」
――今期のリーグを振り返って、そして今日はどのような気持ちで臨んだか。
岡部「リーグ序盤に連勝できて、今期のチャンスを逃したら厳しいと思っていました。今日はかなり(上がれる可能性が)手厚い目だったので、程よい緊張感で臨めました」
徳田「今期は今までよりも上位の争いが熾烈でした。自分は直前までついて行くだけだったので、余計なことを考えませんでしたね。今日は15勝して上がれない初の例になるのかとも思っており、とにかく連勝する必要があると考えていました」
――将棋を始めたきっかけは?
岡部「小学1年生の頃に、2歳上の兄が祖父と指しているのを見て、自然に覚えました」
徳田「6歳の頃ですが、祖父の家で将棋盤が見つかり、たまたま祖父と父が指しました。それを見てですね」
――改めて、三段リーグという戦場についてお聞かせください。
岡部「リーグだけで5年以上いましたが(初参加は第60回リーグ)、昇段に絡まないとモチベーションを保つのが大変です。少ないチャンスを生かさないといけませんが、今期は上を目指して戦えました」
徳田「リーグは8期目(初参加は第63回リーグ)ですが、正直、もっと簡単に上がれると思っていました。上がった先輩の練習量にはすごいものがありましたね。今期は一日中、将棋のことを考えられたと思います」
二人が語った地元への思い
岡部と徳田の二人には、地方出身棋士という共通点がある。岡部は将棋の街、天童で知られる山形県出身(出身市は鶴岡市)であり、徳田は山口県周南市の出身だ。山形出身の棋士が誕生したのは、2009年デビューの阿部健治郎七段以来。そして、山口県出身の棋士は徳田が初となる。当然、地元への思いも強い。
岡部「4年ほど前に東京に出てくるまでは山形から通っていました。これまでお世話になった方には、東京に出て来てからお会いする機会のなかった方もいますが、地元の皆さんに朗報を届けられたのはうれしいです」
徳田「地元からの応援は常に感じていました。なかなか結果が出ず、焦りも感じていましたが、何とか棋士になれて、これからはほんの少しでも恩返しができればと思います」
リーグ最終日には阿部七段が将棋会館を訪れ、地元の後輩に祝福の声をかけていた。同時にプロとしての大変さも伝えていたが、これこそ先輩の愛情であろう。