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「朝4時から練習していたときもあったんです」

「私は自分のために早朝練習をしていたんですけど、若い選手は私が体育館にいると来ざるを得ないじゃないですか。それが嫌だった。自分の身体が辛ければ寝てればいいし、練習が足りないと思えば体育館に来ればいい。自分が大きくなるために今必要なことは何か、選手それぞれが判断してほしかった」

 吉原に忠告を受けた後も、ほぼ全員が以前と同じように朝と夜の自主練習をこなした。

 しかし、杉山が絶対に真似できないこともあった、と懐かしむように言った。

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「トモさんとテン(竹下)さんは、朝4時から練習していたときもあったんです。あり得ないと思った。朝4時にボールをさわるということは、その前にウォーミングアップしたり手にテーピングしなければならないので、さらに30分前に体育館にいたということですよ」

アテネ五輪時の杉山祥子 ©文藝春秋

 寝る時間以外を体育館で過ごした吉原は、何も好き好んで練習に没頭したわけではない。

 新チームが結成され、そのお披露目の舞台であるワールドカップまで実質6カ月もなく、あまりにも時間がなさ過ぎた。東洋の魔女を率いた大松博文やモントリオール五輪の山田重雄は8~10年の歳月をかけて金メダルに導いている。時間を埋めるのはその濃さしかない。

 だからこそ吉原は、毎日選手ミーティングを開き、後輩選手らに様々なアドバイスを与え、午前4時から体育館で練習するその背中を見せなければならなかった。

 杉山は、吉原の言葉を反芻した。

「自分の人生の中で、バレーのことしか考えない時期があってもいいんじゃないか。朝起きたときに、オリンピックに行くぞ! と目覚める位にバレーに集中してもいいんじゃないか。そんなトモさんの言葉が消化できてから、1日1日が濃かったし、充実していた」