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「『お母さんになった気分はどう?』とたずねられると、私は無理に笑顔を作ります」後悔は決して許されない、母親たちの“規制された感情”

『母親になって後悔してる』より #1

note

 母としての行動を感情的に規制することは、「良き母」の「正しい」イメージの忠実な番人として機能する。なぜなら、この幻想は、誰もがそれを共有する場合にのみ存在するからだ。

ルールに従わなければたちまち「悪い母」に

 対照的に、ルールに従わない人は、あらゆる人のイメージを粉砕するリスクがある。このルールに従ったパフォーマンスが「良き母」のイメージを形作るため、同時に「悪い母」の輪郭が定められ、女性の間に分裂が生じるのである。

 母がこのモデルに規定された道徳的基準に従って行動しない場合──不可能であれ拒んだのであれ──たちまち「悪い母」のレッテルを貼られる可能性がある。道徳的にも感情的にも問題のある無法者と見なされるのである。

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 母は、産後の有給の仕事の再開が「早すぎる」と「世話をしない」とされ、職場復帰が「遅すぎる」か一切仕事をしないと「自分をあきらめている」と断じられ、母乳育児をしなくても、母乳育児が「長すぎ」たり「大っぴらすぎ」たりしても、責められる。

 子どものホームスクーリングを行っても、母が(ひとり親であろうとなかろうと)家の外で長時間働かざるを得なくなっても、ネグレクトだと非難を受ける。シングルマザーや生活保護を受ける母、移民の母やレズビアンの母(状況やアイデンティティはしばしば重複する)は、さらに強い批判を受けがちだ。

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 これらの批判を可能にするのは、医療、教育、法律、精神科の医療施設、広告業界、大衆文化やメディアの存在である。とりわけやり玉に挙げられるのが、未婚の母、家の外で職に就いていない母、公的支援に子育てを頼る母だ。

 このように、母は、何をする・しないだけではなく、どんな人間で、どんな状況で生活しているか次第で、世間から「悪い」というレッテルを貼られる。貧しい/教育を受けていない/肉体的または精神的に不健康な女性であるという条件に当てはまり、なかでも複数が当てはまる場合は、厳しい目が注がれる。

 そんな母たちの子育て能力は疑問視され、決定が公の監視下に置かれる。彼女たちは、自分の子どものみならず、社会全体に対して潜在的に有害であると判断されてしまうのだ。

広告により宣伝される「良き母」像

 多くの国では、おむつや離乳食の広告を見れば、どんな女性が「良き母」と見なされるかが一目瞭然だ。そして広告に登場するのは、ほとんどが白人女性である。

 たとえば、2015年、イスラエルのSNSで話題になったのが、「ママに最も近い存在」というキャッチフレーズを掲げ、(アシュケナジム系ユダヤ人の)白人女性のみを取り上げ、エチオピア系ユダヤ人、ミズラヒム(中東・カフカス以東に住むユダヤ人)、パレスチナ人の母たちが登場しない粉ミルクの広告キャンペーンである。

 言い換えれば、こういった広告は、商品だけではなく、「正しい」女性のイメージをも宣伝しているのだ。それはつまり、社会が「健康」であると定める方法で子どもを育てる能力を持つ女性である。

 しかし、これまで見てきたように、「正しい」母性として社会的に確立されたイメージは、母の行動やアイデンティティを超えて、母の感情的な世界にまで及んでいる。

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