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「『お母さんになった気分はどう?』とたずねられると、私は無理に笑顔を作ります」後悔は決して許されない、母親たちの“規制された感情”

『母親になって後悔してる』より #1

note

 これらのコメントでは、母の感情を規制することが、時間と記憶を調整するという文化的な発想と結びつけて語られている。母は、どのような感情を持つかだけではなく、何を記憶し何を忘れるべきかまで指示されているのだ。

 どちらのコメントの主も、現在の苦労を脇によけておけば、時間の経過が未来の喜びをもたらすものだと、母を安心させようとしている。女性一般、とりわけ「良き母」が、現在の人生から悲惨な瞬間や記憶を消去して「ハードワークを続ける」──つまり多くの子どもを産み、「正しい」方法で育てる──ことで、社会は現在の出産と育児の伝統が最終的に女性に益をもたらすという幻想を維持しているのだ。

「良き母」を演じる母親たち

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 しかし、母であることに対する感情的な規制は、単に外部からかけられた圧力ではない。この規制の強力さは、母自身に内在化して働きかけるところにある。内在化が深く、働きかけが広範囲に及ぶことは、次の母たちの証言から見て取れる。彼女たちは、実際の感情と「母はどう感じて行動すべきか」とを対比して語っている。

・ティルザ…2人の子どもの母。1人は30~34歳、もう1人は35~39歳。祖母

 私は世話を焼いています。電話をしたり、心配したり、もちろん気にかけていますよ。質問をし、関心を持ち、訪ねて行ったり、休暇に招いたりして、家族らしいことをします。お芝居みたいに──でも、〔自分〕らしくないし、自分に関連づけができないのです。孫に会いに行くと、関わりを持ちますが、実はあまり興味がありません。自分らしくないことなのです。

 

 常に考えています。いつになったら終わるのかしら、ベッドに戻って本を読んだり、素敵な映画を見たり、ラジオの番組を聴いたりできるようになるのはいつ? そのほうが、私にとっては興味深く、私に合っていて、私らしいのです。庭仕事をしたり、落ち葉をかき集めたり……そのほうが自分らしいんです。ずっとそうでした。

・スカイ…3人の子どもの母。2人は15~19歳、1人は20~24歳

 私の娘は、来たくなれば、電話をかけてから来ます。私はいつもこんな風〔に喜びます〕。「ワーオ、素晴らしいわ。あなたがいなくて寂しかったの。会えるのが待ちきれないわ」。でも、違うんです……私は一種のショーを見せているだけで、〔本心とは〕違います。フリをすることさえできないのです。

・ナオミ…40~44歳の2人の子どもの母。祖母

 普通のことはしています──毎週家に来るので夕食を作りますし、誕生日の贈り物を届けますし、時々様子を見に行きます──私は標準的な人間なので、標準的なことをするのです。おばあちゃんがやることであれば、いくらかはこなしています。でも、大きな必要性があるとは感じていません。私の、標準的でありたいという必要性は、祖母や母であることの必要性よりも強いのです。