昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

――緊張をほぐすために何かやっていたのでしょうか。

ケイン 大会の前日は、家の近くの定食屋で生姜焼き定食を食べることをルーティンにしてました。緊張をほぐすためというわけでもないのですが(笑)。

3連覇後に“ライバル”池谷直樹が登場

――生姜焼き定食のおかげもあって(笑)、その後3連覇を達成。お茶の間にもケインさんの名前が知れ渡ったのでは?

ケイン そうですね。それに3連覇をしたあたりから、ドラマや映画、バラエティ番組など、ほかの仕事でもチャンスをいただけるようになりました。本当に『スポーツマンNo.1決定戦』のおかげです。あの番組がなかったら、僕は日本にいなかったと思います。

 

――しかし4連覇を目指すケインさんの前に立ちはだかったのが、池谷直樹さんですね。

ケイン 池谷さんは当初、芸能人大会にはプレイヤーとして参加せず、跳び箱(MONSTER BOX)の指導役として番組に携わっていたんですよ。だから僕も最初のほうは池谷さんに跳び方を教えていただいて、それで22段を跳べるようになったんです。

 でも池谷さんが芸能人大会に出るようになってからは、一切教えてくれなくなっちゃって。僕の記録が22段で止まったのは、そのせいですね(笑)。

――(笑)。そしてその大会でケインさんは4連覇を逃し、池谷さんが総合No.1になりました。

ケイン 池谷さんに負けた時は1年間ずっと悔しい思いで過ごしました。

 

――その後の大会でもケインさんと池谷さんは“激闘”を繰り広げましたが、舞台裏ではどのような関係だったのでしょうか。

ケイン 池谷さんに限らず、僕はあの大会の最中、ほかの出場者とほとんど話してなかったですね。自分の順番じゃない時でも集中したりストレッチしたりして準備をしていて、話す時間もあまりなかったので。

z