卯月さんの人生を一変させた「ある出来事」
「(AVメーカーである)『シネマユニット・ガス』の高槻彰監督、井口昇監督、平野勝之監督などに出会い、その先鋭的な才能に非常に驚かされ、憧れ、毎回体当たりでぶつからせてもらいました。監督たちから学んだことはとても大きかったです」
同じころギャグ漫画である『行け!稲中卓球部』(講談社)にも大きな影響を受けたという。登場する個性豊かなキャラたちに刺激を受けて、AV女優だけでなく漫画家としての活動も並行した。AV女優時代や家族との日々を描いた『実録企画モノ』、風俗嬢とAV監督による疑似家族の生活『新家族計画』などを刊行した。
傍から見れば厳しい環境だったかもしれない。それでも卯月さんは充実した人生を送っていたという。ところが22歳の時、卯月さんの人生を一変させる出来事が起こる。
大手百貨店から夫に「専属のアートコーディネーターになって欲しい」という依頼が来たのだ。しかし、彼は患っていた精神の病から発症した「不潔恐怖症」のため、契約の日に会社側が用意したペンに触ることができなかった。結果的に仕事も破談になってしまった。
出演していた劇場での出演中に自殺未遂
それを機に、夫の病状はどんどん悪化していったという。そして、夫は予告通り、結婚からほぼ3年でビルから身を投げることになる。
「覚悟はしていましたが、警察から電話が来て病院に向かい、主人の体の損傷箇所の説明を受けているうちに、あまりのショックに失神しました。その後、ICUに運ばれた主人の腎臓が破裂。摘出されたその腎臓を食べようとしてしまい、病院の精神科のサポートを受けました」
卯月さんは、亡くなった夫の戒名と般若心経を、背中一面に刺青で彫ったという。そしてそれ以来、卯月さんの統合失調症の病状も悪化していった。自傷行為や殺人欲求などの症状のため、入退院とオーバードーズを繰り返し、手の震えから漫画を描くことも困難になった。
統合失調症は発症から20年以上が経っても、消える気配を見せなかった。
電車に乗ると「卯月妙子は死刑」という看板を人々が掲げている妄想に駆られる。ボールペンで自分の腕を刺して何とか平静を保った。出演していたストリップ劇場での出演中に舞台上で喉を刃物で切る自殺未遂をしたこともある。3日間意識不明だったが、なんとか一命を取り留めた。
そんな風にボロボロの状態だった卯月さんを救ったのは、これまで描き続けてきた漫画と、あるひとつの出会いだった。