休業要請に強制力はない。とはいえ、街の見回りを行うなどして、休業要請の浸透を図るべきだった。または、対策状況をチェックする体制をとるべきだ。我々はこの頃から、このように主張していた。しかし現実は、無法状態と化していたのである。特に都心繁華街は、モラルの低い店舗を中心に顧客が殺到し、やりたい放題の状況だった。
ガバナンスの崩れた歌舞伎町のホストクラブで感染拡大
モラルの高い店が休業に応じる一方、従業員や客は離れ、モラルの低い店に流れる構図となった。店だけではない。ストリートでは、客引き、スカウト、やくざ、それぞれ既存の監視が薄れる隙間が生じ、さまざまな荒らし行為も起きていた。
6月に、これまで自粛をしてきた“品行方正”側の店が一気に営業再開に動いたのは、こうした背景もある。ガバナンスの崩壊を見ていられなくなったのだ。
20年ほど前の、荒れた歌舞伎町を思い起こさせる夜の騒ぎも、咎める者はいなかった。その役割を負う東京都は“調整中”という体裁で、現実に起こっている問題に目を向ける余裕もなく、繁華街対策は事実上の無策だったのだ。6月に入り、歌舞伎町の全体が活動を再開したことは、街のガバナンス保持という点では意味があることだった。
そして6月上旬。歌舞伎町のホストクラブの感染拡大が大きく報道された。懸念していたことが、現実となってしまったのである。
世間は一斉にホストクラブを叩きだす。クラスターとなった店舗を割り出して、袋叩きにしようという空気であふれていた。時を同じくして、行政がクラスター発生の店舗を名指しで公表するようになった。名前を出された店舗は廃業へ追い込まれるという現象が全国各地で起こった。
しかし、クラスターが発生した店舗の店名を公表することは、感染拡大防止という観点では裏目に出たと私は考える。店舗に雇われるキャストにとっては、自分が感染したせいで、お世話になっている店が閉店に追い込まれるような事態は避けたい。
そうなると、熱があっても、多少具合が悪くてもそれを隠し、検査を拒否して店舗にも内緒で乗り切るという発想になるわけだ。間違った対応ではあるが、当時はそれが、その子なりの誠意だったのだ。