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2022/05/05

source : 週刊文春出版部

genre : ライフ, 教育, 社会, スポーツ

「ぶっ殺すぞまで言われたのに、僕らは太郎をやめさせなかった。仲間のためにも、全国行くためにも耐えてくれ、とにかく耐えてくれと思ってました。筋金入りの毒親やったと思います」

 娘が全国大会に行った沙季は、監督に恩義を感じていたため弟の拓海にこう強く言い聞かせていた。

「あんたは何があってもお姉ちゃんと比べられるし、(監督に)何をされても辞められへんからな」

 よって、拓海は一度たりともチームをやめるとは言わなかった。

「もうそんなんママに言ったら殺される、って思ってたでしょう。私に辞めるなんて絶対言われへん」(沙季)

「あたしらたぶん猛毒や。もう、サリンくらいのレベルの」

 しかも、兄や姉を指導している家庭の子どもに対し、Aは手加減がなかった。親との付き合いが長いため文句は出ないと高を括っていたのだろう。学年が上がるにつれて「拓海は日ごろの努力が足りんのや」ときつく当たった。拓海はモジモジして反応が遅れるタイプだったからか、そこも癪にさわるようだった。

「おまえは生まれつき性格が悪いのは直らん。産み直してもらえ」

 わが子を否定され歯がゆい沙季は、Aに小言を言われたくない一心で拓海を𠮟りつけた。「お姉ちゃんは努力家だった。キャプテンもやった。お姉ちゃんはできたのに、おまえは何でできひんの?」と姉と比べては責め立てた。

 監督から「ジャンプ力がない」と言われれば、跳躍力がつくようにと練習から帰宅後に家の前で縄跳びをさせた。平日の21時に夜練が終わると、21時半に帰宅してすぐ縄跳び開始。二重跳びが連続100回できるまで、食事もとらせずやらせた。冬の寒い日は、車庫に入れた車の中から見張った。

「失敗したら、また一からやり直しと怒ってやらせてました。あんたは監督にサボってるって言われるから、努力しなさい。ママが見とくからなと言ってやらせました。子どもがやって(努力して)いないと言われるのが、子どもよりも私が嫌やったんです」

 沙季はうっすら涙を浮かべ、言葉を絞り出した。

「かなりの毒親でした。私は」

 沙季の話を首を垂れてじっと聞いていた真理が、ぼそっとつぶやいた。

「あたしらたぶん猛毒や。もう、サリンくらいのレベルの」

 ナチスが開発したといわれ、1995年に6000人の被害者を出し14人の命を奪った地下鉄サリン事件で使用された神経ガス。その強毒の名で、自分たちを表現した。

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