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日常に浸透していた、拝み屋の存在

 拝み屋と呼ばれる民間の祈祷師たちは、ここ福島だけでなく、日本各地に存在した。その名残りが、青森県のイタコや高知県の山間部にいるいざなぎ流の太夫である。

 福島の拝み屋はかつて、巫女さんや法印と呼ばれた。明治時代には日本民俗学の礎を築いた柳田国男も、福島県いわき市の巫女さんを調査している。

『福島県巫女調査覚書』(岩崎敏夫)によれば、昭和56年から57年にかけて、福島県内で、巫女の実態について調査がおこなわれた。戦前にはかなり多かったという巫女は、減少の一途をたどり、調査の時点で111人が福島県内にいたという。すでに調査から40年以上が経過していることもあり、さらに減っていることは間違いない。 

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©八木澤高明

 巫女となる女性は、須賀川市を含む県南部に多かったという。その一帯は、阿武隈高原の山間部という地勢上の理由から農地も少なく、かつては生活が厳しかった。満足に医師もおらず、病気の治癒なども含め日常生活において人々を支えていたのだった。さらには、須賀川市と接する玉川村の山間部は平安時代から山岳信仰が盛んで、江戸時代まで修験者たちが庵を結んで暮らしていた。江戸時代以降、そうした者たちの一部が、祈祷師などになった。巫女さんや祈祷師が日常生活に溶け込んでいたことが、江藤の犯行だけでなく、悪魔祓いの被害者を生む要因のひとつとなった。

神を名乗りながら、年下の愛人と…

 江藤は、須賀川の拝み屋だけでなく、その後は栃木や岡山の新興宗教に入信した。そして、自ら神と名乗りお祓いをするようになると、心の不安を抱えた不特定多数の人間たちが家に出入りするようになった。

 被害者のAさんは、妻、長女、高校生の二女、中学生の三女の一家5人で入信し、Aさん、妻、長女の3人が犠牲となった。入信したきっかけは、糖尿病を患っていたAさんが、江藤のお祓いを受けたところ、治ったと感じたことだった。

 他にも、江藤の愛人だったという年下の元自衛官も信者のひとりだった。