小2のとき、公民館の将棋サークルに通うように
服部は富山県出身で4人目の棋士になった。同県出身は師匠の中田章道七段、兄弟子の村田顕弘六段と大内門下の田村康介七段である。
故郷での昇段パーティーはコロナ禍の中で見送られたが、2021年9月に表敬訪問で地元を訪れた。富山支部では多くの人が服部を出迎えてくれた。子どもの頃から大会で対戦した人たちも、プロを目指してから「頑張って」と声をかけてくれた人たちも、ほとんど全員の顔を覚えていた。今は彼らがSNSでも声援を送ってくれることが、大きな励みになっている。
服部は小学2年のときに、当時住んでいた魚津市の道下公民館の将棋サークルに通うようになった。本格的な教室ではなかったが、同い歳くらいの男の子5、6人で楽しく指していた。将棋が好きになるには十分な環境だった。
4年生のときに富山市に家族で引っ越した。その頃に大会で知り合った地元のアマ強豪から、「家に来て将棋を指してもいいよ」と声をかけてもらう。地元では鍛えてもらえる相手がほとんどいなくなっていたため、ありがたい誘いだった。小6から月に数日通うようになる。
中2になった4月に関西研修会から奨励会に入会した。例会には特別急行列車のサンダーバードか夜行バスで通った。中2のうちに4級に上がったが、まだ地元のアマ強豪には勝ち越せなかった。
そして中3の4月、家族で大阪に転居したのを機に、関西将棋会館の棋士室での日々が始まる。
「富山県に住んでいなかったら、将棋を始めていなかったと思います。自分は富山で育って富山で将棋を覚えた。それだけに地元への思いは強いです。今はプレーヤーとして結果を残さねばなりませんが、歳を重ねていったら、いつか富山での普及に貢献したいです」
10年後に、こういう日もあったと思えるように
2022年3月10日、C級2組最終戦が行われた。総勢53名の中から、昇級できるのは上位3名のみ。この日まで9戦全勝の西田拓也五段がすでに昇級を決め、残る枠は2名。服部は1敗者の中で順位が最上位で、自分が負けても他の1敗者の渡辺和史四段か伊藤匠四段のどちらかが負ければ昇級という条件にあった。だが服部は(自分が勝つ以外に昇級はない)と思っていた。渡辺、伊藤の二人が負けるとは考えられなかった。
服部の対局は関西将棋会館で行われた。相手は遠山雄亮六段。C級2組在籍は16期目になる。遠山は過去に、昇級のチャンスを同星ながら順位差で逃したことが3度もあった。
服部は(いつもの通り指せればいい)と思っていた。しかし序盤から不慣れな戦型へとなり、徐々に苦しい展開になっていく。遠山の確実な指し回しが、服部の勢いを押さえ込んでいた。
順位戦の一日は長い。夕食休憩後、遠山の優勢で局面は終盤へと向かう。服部は耐え続け、最後は自陣に角を打ち執念を見せたが22時42分に投了を告げた。1局を通して完敗だった。
(また来期、このクラスで一から頑張ろう)
負けを受け入れたとき、そう思った。