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ホッとしている暇なんかなかった

 服部のデビュー初年度の成績は28勝11敗、勝率0.718。2年目となる昨期は43勝12敗、勝率0.782。両年とも好成績を残した。新四段が勝率7割を超えるのは珍しくはないが、一方で厳しい奨励会を抜けた安堵感がもたらす停滞期を経験する棋士も多い。服部は奨励会時代と今では、どちらが将棋の勉強時間が長いのか?

「僕は棋士になってからのほうが勉強時間は長いです」

 昔から言われる“青春の取り戻し行為”に魅かれるものはなかったのか? すると、やや憮然とした声ではっきりと言った。

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「藤井(聡太)さんという存在がありましたから。自分が四段昇段して間もなく、棋聖を獲られた。ここで自分が緩んでしまったら、本当に藤井さんが見えなくなってしまう。ホッとしている暇なんかなかった。最終的な目標は、藤井さんにタイトル戦で勝つことだと思っています」

「まだ一緒に戦いたかった。年齢制限まで数年ありましたから」

――奨励会時代に辛かったことは?

服部 自分がお世話になった先輩や、歳が近い人が辞めていったときですね。相談はされなかったです。ある日突然という感じで。辛かったですね。盤を挟んで戦ってきた相手ですが、共に将棋を追いかけて、高め合ってきた友でもありましたから。

――辞めるときに連絡をもらった方は、何人くらいいましたか?

服部 10人くらいいたと思います。直接会ったときに言われることもありましたし、メールやラインで連絡が来たことも。一番ショックだったのは、3歳上の先輩から、「俺、3月一杯で辞めることにした」と聞かされたときですね。よく練習将棋を指したり、プライベートで遊んだり、一緒に登山にも行ったこともありました。自分が三段リーグで19歳のときでしたから、先輩が22歳で二段でした。同世代が就職する年齢だったというのもあると思います。地元に帰られました。

――もう少し頑張ろうとは言えなかった?

服部 それは言えなかったですね。自分がその立場で、後輩からそう言われることを考えると……。まだ一緒に戦いたかった。年齢制限まで数年ありましたから。でも言葉にならなかった。先輩からは期待していると言われました。「服部君なら活躍できるから頑張れよ」と。四段に上がったときも、加古川青流戦に優勝したときも、「おめでとう」と連絡をもらいました。

――悩みなどを打ち明けたりしたのですか?

服部 将棋の戦型についてはよく話しましたが、悩みとかは話さなかったです。お互いに戦うので、弱みは見せられないというか……。僕らの関係って、独特なんですよ。将棋のことも、なかなか同期には本音は言えないかもしれない。不思議な感じがします。将棋を指す者にしかわからない関係なんでしょうね。