2020年7月16日。服部慎一郎は午後11時過ぎに東京将棋会館・飛燕の間を出た。プロデビューして3ヶ月半、公式戦4戦目を終えた夜だった。この日はC級2組順位戦が行われていたが、この時間まで残っていた対局は少なく、4階のフロアーはすでに静かだった。
服部は順位戦2回戦に勝ち、これでデビューからの戦績は3勝1敗となった。新人としては、悪くない出だしだ。だが勝利の余韻に浸る気持ちはなかった。預けてあったスマートフォンをロッカーから取り出すと電源を入れた。すぐにニュースが目に入った。
《第91期ヒューリック杯棋聖戦第4局で挑戦者の藤井聡太七段が勝利し、史上最年少でタイトルを獲得した》
藤井の対局では、自ら記録係を希望した
しばしの間、画面を見つめていた。
(だいぶ違うところに行ってしまったな)
モニターを見つめながら、いろいろな思いが込み上げてきた。
奨励会時代は“先を行く人”だと思っていた。服部の入会は2013年4月。藤井の約半年後であり、二人は奨励会で何度か対戦している。手合は全て藤井が上手の香落だった。最後は服部が初段で藤井が二段のときになる。
「初段と二段は振り駒で手合が決まります。歩が出たら初段の先手、と金が出たら上手香落で、その違いは大きかった。奨励会での対局は負け越しています。藤井さんのことはライバルとは思っていなかった。ずっと先をいかれていましたから」
その対局の後、藤井はすぐ三段昇段を決め、半年後に開幕したリーグ戦を1期で抜けていく。
藤井の公式戦の記録は何度か録った。関西では奨励会上位者から順に対局を選ぶことができる。自ら藤井の対局を希望したという。躊躇いはなかったのだろうか。服部は少し間を置いて言った。
「やっぱり、すごい悔しかったです。でも、それに目を背けてはいけないと思っていました。受け入れて勉強していくことが大事なのだと。藤井さんのデビュー後の連勝中は、報道陣の多さに驚きました。その中でも藤井さんは全然プレッシャーを感じている様子がなかった。なんというか、本当に盤面だけを考えている感じで。それほど将棋に集中しているのかと思いました」