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人前で話すのが苦手で、緊張すると噛んでしまう癖がある

「本当にやるのかよ?」

 緊張で膝がガタガタしている。なんでこんなことを始めてしまったのだろう? 棋士を目指しているんだから、これはやらなくてもいいことだよな……。

 服部が通う定時制高校の文化祭が近づき、生徒会がステージの出し物を募集していた。クラスの友人が「俺たちも何かやろうぜ」と声をかけてきた。でも二人ができることって何があるだろう? バンドやダンスは苦手だ。それで残った選択肢は“漫才”だった。

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 後から考えれば、とんでもないものを選んでしまった。服部は人前で話すのが苦手で、緊張すると噛んでしまう癖がある。だから大勢の前でパフォーマンスなんてしたことがない。でも苦手を克服する意味で頑張ってみようと思った。

 ここまでは、まだよかった。本番が近づいてくると、なんと相方が練習で路上ライブを提案してきたのだ。

 ちょっと待て、俺たちは芸人じゃないだろ! しかし彼は本気だった。こういう経験も何かの役に立つからと。

 ああ、とうとう路上に立ってしまった。人の視線をこんなに冷たく感じたのは初めてだ。すっかり腰の引けた服部に相方が言った。

「ここでいかなくて、どうするんだよ?」

 それを言われると、勝負師として引けなくなった。

 破れかぶれで声を出した。相方が答えてくる。素人二人の声はか細く、喧騒にもみ消された。誰も足を止めるものはいない。ときどき目が合う人はいるけれど、表情も変えずに通り過ぎていく。

 でも、次第に不思議な高揚感に包まれた。相方の真剣な顔、笑う顔。気がつけば、互いの掛け合いに酔いしれていた。俺たち、やれているじゃないか。

 文化祭でのステージはウケたかどうか、わからない。会場が沸いたような気もするけど、本当はスベっていたのかもしれない。でも自己満足でもいい。これまで知らなかった景色を見ることができた。そんな場所に連れて行ってくれた相方に、感謝している。

「漫才の相方は、私の高校時代の親友です。彼とは高校で出会い、青春時代を共に過ごしました。将棋一辺倒になりがちだった私が、彼のおかげで普通の高校生活を送ることができた。昨年、彼も就職して、お互いなかなかゆっくり会う時間が取れませんが、いつかまた温泉でも行けたらいいなと思っています」

写真=野澤亘伸

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