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棋士室に来れば有段者の先輩たちと指せると思っていた

 服部慎一郎は中学3年になる春に、家族と富山県から大阪へ転居した。これを機に放課後は毎日、将棋連盟の棋士室に通って将棋を指すことを決意する。強い相手との実戦に飢えていた。

 扉を開けると、駒音が響いてきた。棋士と奨励会員たち十数人が盤を挟んでいる。服部は部屋の隅からその様子を眺めた。三段の大橋貴洸、池永天志らの姿を見つけて心が逸った。だが近寄ろうとして盤を睨む迫力に足が竦んだ。

(怖い……)

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 棋士室に来れば有段者の先輩たちと指せると思っていた。だが奨励会4級の自分から頼めるような雰囲気ではない。そう思うと、黙って部屋の隅に立ち尽くすしかなかった。

 棋士室に通うようになって2週間が過ぎた。毎日来ているが、まだ一局も指していない。棋士や先輩会員の将棋を見続けている。ただ次第に寄って行って、盤側から覗き込むようになった。

 当時奨励会幹事をしていた山崎隆之八段は、服部が少し前から来始めたことに気付いていた。級位者の多くは指す相手が見つからずに、端の方で棋書を読んだり棋譜を並べている。山崎は彼らに積極的に声をかけるように言ってきた。

「待っているんじゃだめだよ。服部くんの方が級位が下なんだから、自分からお願いしなければ」

 行けと言われただけなら、尻込みしていたかもしれない。だが山崎はこう続けた。

「有段者の人たちも将棋が好きで指したいと思っている。声をかけられるのは嬉しいものだよ」

 

定跡系よりも力戦タイプで、自分の将棋を持っている

 その言葉に覚悟が決まった。指し終えたばかりの大橋のところに行くと、「お願いします」と頭を下げた。断られても仕方がないと思ったが、大橋は棋士や三段と指すときと同じ態度で「お願いします」と返すと駒を並べ始めた。服部は嬉しさに心を躍らせ、玉将をつかんだ。

 大橋は「すごい勉強熱心な子だな」と思って服部を見ていた。将棋は定跡系よりも力戦タイプで、自分の将棋を持っていると感じたという。

 井田明宏(現四段)は、後輩の服部が山崎や糸谷哲郎、奨励会有段者に練習将棋を指してもらう様子を見ていた。井田は服部よりも3歳上で、棋士室に通い始めたのも先だったが、昇級ペースが遅く、服部に並ばれていた。

「私も強い先生に指して欲しい。でも一方的に負けたときに、自分と指しても得るものがないと思われるのが怖かった。恐れることなく練習将棋をお願いしている服部君をすごいなと思った」

 井田が高校2年で4級のときに藤井が入会し、その半年後に服部が入会している。二人に追いつかれ、それに触発されるように井田の昇級スピードも上がっていく。井田と服部が練習将棋を指すようになったのは互いに3級のときだった。その後、棋士室で数え切れないほどの対局を重ねていくことになる。