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 尾崎の「シェリー」の歌詞には、BPDからの魂の叫びと呼ぶにふさわしい言葉が並ぶ。

 焦って何もかも捨て、金か夢か分からない暮らしを続け、負け犬なんかではないと強がり、恨まれていないかおどおどし、愛される資格があるか不安におののく。

「シェリー」を聴いたとき、それは中島みゆきの曲「あした」(作詞・作曲 中島みゆき)の歌詞に通じるものだと直感した。

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不倫の噂もあった女優・斉藤由貴から尾崎への手紙「月刊カドカワ1990年11月号」から(現在はプレミアがつき、入手困難である)

 ♪抱きしめれば2人はなお遠くなるみたい 許し合えば2人はなおわからなくなるみたいだ 

 ガラスならあなたの手の中で壊れたい ナイフならあなたを傷つけながら折れてしまいたい♪

 もちろん、シンガーソングライターにとって、作品イコール人生とは限らない。中島みゆきが「あした」のようなBPD的な経験をしたのか、私は知らない。

 一方、尾崎は1歳の時、母の病気で祖母にしばらく預けられ、祖母を母親と思うようになったころ、再度母のもとに戻った。つまり、二度「自分を守るもの」から離された経験が影響していると父健一は振り返っている。

 精神分析では、心の傷を受けた年齢が若いほど、のちの精神疾患は重いものになるという考えがある。しかし、父の言う母子分離体験がどれほど尾崎の精神を蝕んだのか、本当に知る術はない。

注意欠如多動症的気質も

 尾崎のBPD的心性の背景には注意欠如多動症(ADHD)的気質のあることが、父の著書からうかがえる。

 発達障害のなかで一番多いのが、ADHDだ。不注意と多動・衝動性が症状の中核で、芸能人やスポーツ選手にもよくみられる。

大阪ライブコンサートの選曲コンテで自分の大事な持ち歌「存在」のタイトルを「存存」と書き間違え、直した跡のある直筆ノート

 尾崎は水が苦手と書いたが、そのきっかけは子ども時分のこと。家族で温泉に出かけ、あとさき構わず湯船に飛び込んで溺れかかった。父は「前に進み過ぎるところがあったのかもしれません。私も引くことは教えませんでした」と振り返る(尾崎健一『天国の豊よ、思い出ありがとう』1994年、麻布台出版社刊)。

 小学校では夏休みの宿題を放ったまま8月25日にハイキングにでかけたり、中学の時はシャツのしわが気になって、靴下をはくのを忘れて裸足に靴をはいて出かけたり、成人後、高山への里帰りで家族を乗せた車を運転、フルスピードで6時間突っ走ったりした。

 それにしても、こうして精神科医の目から尾崎豊の“心の腑分け”を試みるとき、どこか腑に落ちないものを感じるのはなぜだろう。

「苦しんだそのままが歌になっている」

 尾崎の死後、兄の康はインタビューで「苦しんだそのままが歌になっています。全身全霊をこめて作っていました」と回顧する。