沖縄県は今、経済的に打ちのめされている。コロナ禍による旅行の制限は、県経済の根幹である観光産業を年単位で容赦なく直撃し続けた。
誰もが笑顔になる、沖縄に親しみを持ってくれる、日曜日に横浜鶴見まで足を伸ばし、新型コロナ感染症が落ち着いたら沖縄に行きたくなる、『ちゅらさん』のように愛される朝ドラをまた作ってほしい。そうした朝ドラ人気への期待が一方では確実に存在する。そしてもう一方では、『ちゅらさん』が描けなかったもの、なんくるないさ、の忘れられたもう半分まで届くような作品を2022年の今だから残してほしい、そうした内容への期待も一方にある。
時代と、舞台設定に感じる「意志」
今の時点で『ちむどんどん』が高い評価を獲得しているとは言いがたい。視聴率は良いとは言えず、SNSでも批判が目立つ。沖縄で徴兵され中国へ送られた父親や、戦時中、陸軍の幹部候補生として沖縄の部隊に配属されていた民俗学者の青柳といった、脚本上、明らかに何か重要な意味を含んで登場したはずの人物たちが、物語上では明白なメッセージを発しないまま、コミカルな演出の中で沖縄編は終わった。これまでの朝ドラでも何度も見た、右手で打ち出したはずのテーマを左手が迂回するような歯痒い光景だ。
作り手がただ明るく楽しい沖縄コメディを作りたいだけなのであれば、そもそも沖縄の本土復帰という最も政治的な時代と、横浜・鶴見という、戦前から多くのマイノリティが暮らした歴史を持つ街を舞台に選んだりはしない。
脚本に歴史への意識がないなら、第二話で、民俗学者の青柳に「今でも申し訳なく思っています。生き残ってしまったことを」と言わせ、中国大陸に従軍した父親に「自分も生きている限り、謝り続けなければならないと思っています」と、戦争の深い暗闇を感じさせる言葉を吐かせたりはしない。だが、今の時点でそれは表に出てはいない。中国で何を経験したのか詳細に語らぬまま、父親は6話でこの世を去り、物語は進む。
朝ドラの歴史はある意味においては、脚本家たちの断念と無念の歴史でもあるのかもしれない。テーマを貫くことができた幸運なひと握りの作品を除いて、多くの脚本家が涙を飲んでテーマを迂回してきたのだろう。それを腰砕け、と揶揄することは僕にはできない。
批判と社会運動を嫌う現代の日本の風潮の中で、昭和の沖縄出身者に対する差別を真正面から描くことが、東京で活動する沖縄出身の若い俳優たちに重くのしかかることは想像できる。あるいは人気も、作品評価も振るわないまま、とにかく炎上だけは避けたいとひたすら安全運転に徹するかも知れない。朝ドラという場所では、その安全運転さえも簡単ではないのだが。