「女子アナ」というワードによる、会社・個人の成長
永井 いえいえ、一緒です(笑)。私は今、「女性アナウンサーという生き方」というテーマで講演をすることが多いのですが、局アナというのは、いろんなことを経験できるんです。そのことを「チャンス」と捉えれば、抜群に面白い仕事だとお話ししています。これまでの経験を生かして、音楽フェスをプロデュースしたり、大学で講義をしたりしていますが、入社した時は、そんなこと思いもしなかったですからね。
長野 テレビ局の仕事は、毎日が文化祭みたいだったと言いましたが、個人的には「女子アナ」というワードは、キラキラと輝いた青春の思い出も含まれたものになっているんです。会社と私個人がともに成長させてもらえた時間でしたね。
永井 私もそう思います。後輩のアナウンサーたちを見て、みんな性格が良さそうだなぁということを元同僚に話したら、「違うよ、永井。性格がよく見えるのは、きちんと休暇を取っているからだよ」と言われたんです。私は、仕事の記憶がないくらいで、オンエア中も寝てしまうくらいの忙しい時代だったから、画面ではさぞ怖い顔をしていたんだろうなぁ。
長野 大丈夫、可愛かったから(笑)。
写真=杉山秀樹
長野智子 ながのともこ
1985年、フジテレビに入社、90年に退社し、フリーアナウンサーとなる。95年の秋より、夫の赴任に伴い渡米。ニューヨーク大学大学院において「メディア環境学」を専攻。99年5月修士課程を修了し、2000年4月より「ザ・スクープ」のキャスターとなる。「朝まで生テレビ!」「報道ステーション」「サンデーステーション」のキャスターなどを経て、現在は、国連UNHCR協会報道ディレクターも務める。
永井美奈子 ながいみなこ
1988年、日本テレビに入社。「マジカル頭脳パワー!!」「24時間テレビ」などを担当。96年に退社し、フリーアナウンサーとなる。「笑っていいとも!」などにレギュラー出演した。結婚、出産を経て、2003年慶應義塾大学政策・メディア研究科修士を修了、現在、同大学湘南藤沢キャンパス(SFC)上席所員、成城大学文芸学部で非常勤講師を務める。フリーアナウンサー、母、妻、研究者として多方面で活躍している。
吉川圭三 よしかわけいぞう
1957年、東京都生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、82年に日本テレビ入社。「世界まる見え!テレビ特捜部」「恋のから騒ぎ」「特命リサーチ200X」などを手掛けた。アナウンス部長、制作局長代理などを経て、現在、ドワンゴのエグゼクティブプロデューサー。著書に『泥の中を泳げ。 テレビマン佐藤玄一郎』(駒草出版)、『たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場』(小学館新書)、『ヒット番組に必要なことはすべて映画に学んだ』 (文春文庫)。