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 十津川の身長は165センチだったけど、今は10センチ伸びた(笑)

「大衆文芸」に発表した作品は、短編集『南神威島(みなみかむいとう)』ほかに収録されている。いよいよ十津川が『赤い帆船(クルーザー)』で登場したのは1973年のこと。私立探偵の左文字進など、ほかにもシリーズ・キャラクターは活躍したが、1978年に刊行された『寝台特急(ブルートレイン)殺人事件』が大ベストセラーとなり、十津川警部シリーズが疾走しはじめる。

 シリーズ物だって鉄道物だってなんだって、3作ぐらいでやめるつもりで書きはじめたんです。だから、十津川物も2、3冊ぐらい……人物造形もあまり考えていないんですね。

 身長なんか165センチで、太り気味だからアダ名がタヌキだった。それが、テレビドラマになると、十津川警部を二枚目俳優の方が演じるわけですから、違うんじゃないかと抗議がくる(笑)。

 今、十津川の身長は175センチなんです。10センチ伸びた(笑)。165センチのままでもいいんですよ。だけど、電車なんかに乗っちゃうと、まわりが見えないんです。やっぱり、背が低いと尾行が難しいから(笑)。

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『寝台特急殺人事件』が売れたのは、十津川の人気じゃなくて、寝台特急の人気でしょう。刊行されたあとに編集者と食事をしていたら、そこに電話がかかってきた。増刷になったというんで、みんな、喜んでいる。でも僕は、えっ? 増刷って? 増刷されたなんてことはなかったから、何が起こったのかよく分からなかった(笑)。

 トラベル・ミステリーを書きはじめたころは、どこへ行こうか、というよりも、どの鉄道に乗ろうか、どの列車に乗ろうかというところから、取材は始まりましたね。列車のほうに重きをおいていました。

 懐かしい寝台特急といえば、やはり『寝台特急殺人事件』の「はやぶさ」ですね。東京駅から終点の西鹿児島駅まで、ずっと起きて取材したんです。個室寝台に乗ったのは初めてでしたが、狭いし値段は高い。トイレもシャワーもついてなかった。

 とくに、駅のホームの様子を知りたかったんです。売店が何時ごろまでやっていて、そして何時ごろに開くのかとか、深夜のホームに人はいるのだろうかとか。ずっと外を見ながら確認してたんですが、同行した編集者は、お酒を飲んですぐ寝てしまった。どうして一緒に来たんだろう(笑)。

 二十数年後、『新・寝台特急殺人事件』を書くために、また「はやぶさ」の個室寝台に乗りましたが、これがまったく昔のままで、全然進歩がなかった(笑)。いや、1つだけ進歩していました。窓際のテーブルが、蓋を開けると洗面台になるんですが、その蓋が磁石で固定されるようになっていた。それが唯一の進歩(笑)。

ブルートレイン ©文藝春秋

西村氏が好んだ“鉄道の旅”とは

 1981年には『終着駅(ターミナル)殺人事件』で日本推理作家協会賞を受賞。以降、現在まで十津川警部は日本全国の列車に乗っているが、自身、若いころから鉄道の旅を好んでよくしていた。

 鈍行列車が好きですね。人事院に勤めていたころ、フラッと旅に出て、ずいぶん乗りました。

 ボックス席が好きなんです。だいたい向かいに地元の人が乗ってくる。男の人は全然話しかけてこないけれど、おばあさんは話しかけてくるんです。なんだか知らないけど、おばあさんにいつも話しかけられていた(笑)。

 若い女性じゃなくて、必ずおばあさんなんですが、「どこ行くの?」とか。話すといったって、つまんないことなんです。もちろんそうですよね、初めて会ったんだから(笑)。

 それで、これもなんだか分からないけれど、ミカンをくれるんです。いや、ミカンしかくれない(笑)。膝の上でミカンを剥きだして、前に坐っている僕に、「どう?」とか言って。それで、降りるとき、残りを全部くれたりするわけです。