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 八代亜紀さんの「愛の終着駅」に、文字のみだれは線路の軋(きし)み~っていう歌詞があるんですが、作詞した池田充男さんもテレビで同じことを言っていました。鈍行列車でおばあさんにミカンをもらって、感動したって。若いときは鈍行に乗って、ボックス席に坐ったほうがいいんじゃないかなあ。

 日本海の海岸線に沿って走る山陰本線にも、若いころの思い出がつまっています。これも人事院時代なんですが、東京湾が汚れてしまって、近くで海水浴ができなくなったんです。そんなとき、山陰の海がきれいだっていう記事が出た、新聞に。それで、フラッと山陰へ行ったんです。海水パンツだけ持ってね(笑)。

 もう駅は憶えていませんが、着いたら、まず海へ行ってひと泳ぎする。それから、食事して銭湯へ。昔はどこにでもありましたからね。体洗ったら、別の海水浴場を目指して、また山陰本線に乗る。

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 そしてどこかの駅で降りて、海へ行って、泳いで、食べて、銭湯へ行って、また列車に乗って(笑)。高いから旅館なんかには泊まれない。鈍行のボックス席で寝るんですが、途中までしか行けなくて、駅で寝たこともよくありました。

 いちばん好きな駅は上野駅――昔の上野駅が好きですね。ホームを離れていく列車が旅心を誘うんです。よく、上野駅で列車の発着を見ていました。中央改札口の向こうに、13番線からずらっと、ホームが並んでいますね。北へ向かう列車に、荷物を持った人が乗ったり、逆に到着した列車から乗客が降りてくるのに、なんだか感動していた。懐かしいですね。まだ小説を書こうなんて気もなかったころです。

 それで、気が向いたらそのまま、フラッと列車に乗ってしまう。青森へはよく行きました。青森の駅に降りると、バスが出ているんです、十和田湖まで。それに乗って十和田湖へもよく行きましたね。

 そう、好きだったんです。上野駅から青森方面へ行く列車が。やっぱり、寝台列車なんかじゃなくて、ボックス席です。帰りももちろんボックス席です。寝台は贅沢でしたから。

 東北本線の夜行列車では、やはりボックス席での旅で、面白い体験をしましたね。あれは青森からの帰り、前に坐っているオジサンが、隣の若い女の子をくどきはじめたんです。つまらない口説き方をしてるから、笑っちゃった。

 うちの奥さんが自分のことをかまってくれない。とれたボタンを付けてくれないから、自分で付けてるんだ……そう口説くのが、あのころ流行っていたんですよ(笑)。まさにそれやっているわけです、目の前で。こっちは見ないふりをして、ずっと聞いていた。ああー、下手くそだなあ、なんて思いながら(笑)。そのうち、僕は寝ちゃったんです。

 ところが、朝、上野駅に着いたら、2人が腕組んで行ってしまった(笑)。一夜ずっと一緒にいると、同情してしまうのかなあ。でも、ふと何だか心配になってきたんです。騙されたんじゃないかなって(笑)。50年以上前のことです。

三陸鉄道と西村京太郎氏 ©文藝春秋

ホームで味わった「立食い蕎麦」の思い出

 若き日の鉄道の旅の、懐かしい思い出は、作中のそこかしこにちりばめられてきた。『十和田南へ殺意の旅』(1989)ほか、十和田湖を舞台にした作品もいくつかある。トラベル・ミステリーという新ルートの開拓は、やはり必然だったのだろう。そして、鉄道の旅の楽しみといえば、やはり……。

 ホームにある蕎麦屋さんが、いわゆる立食い蕎麦が好きなんですよ。フラッと旅していたころから食べていますから、分かるんです。だんだん美味しくなっている(笑)。トッピングもいっぱい増えた。でも、このところホームから消えているんですね。何故なんでしょうか。

 鉄道の旅といえば駅弁ですが、今はずいぶん高くなりましたね。だいたい1000円以上ですから。

 一番好きだったのは、東京駅の「牛めし弁当」……それが正しい名前だったかどうか忘れてしまいましたが、すき焼き風で、牛肉とタケノコの薄切りだけのシンプルな弁当でした。よく食べていたころは600円だったかなあ。それが800円になって、そしてなくなってしまった(笑)。