1ページ目から読む
2/3ページ目

味噌汁を鉄枠に吐きかける毎日

 準備には5ケ月かけた。

『Y・S(白鳥由栄のこと)は、当時、堅牢を誇る秋田刑務所の独居房から破獄逃走したが、容易に革手錠を破り、金属手錠を引き伸ばす怪腕力の持ち主であった。

 

 網走刑務所収容後は、手錠を曲げたり捕縄をずたずたに切ったりしたため、常に特殊の金属手錠を用い厳重に戒護していたが、当日午後9時17分ころ、折りからの燈火管制で舎房が薄暗くなっていたのに乗じて4舎24房から逃走した。

 

 その方法は、金属手錠を引き伸ばし、その一端で居房視察窓の鉄棒を引き抜き、褌一本の裸体で居房を抜け出し廊下へ出た。更に廊下から天窓に上がり、採光硝子を頭で突き破って舎房屋上に上り、屋根伝いに同舎房右端まで来て飛び降り、煙突支えの梯子を取り外して外塀に立て掛けて逃走した』(『網走刑務所―苦節百年その歩み―』より)

 白鳥は彼のために造られた特別な房の扉にあった視察口から身体を出して逃走した。この視察口の大きさは縦約20センチ、横約40センチ。現在も博物館に残されており、5本の鉄棒が縦に鉄枠に溶接されていた。関節を外すなどといった芸当のできないものであれば、ここから出られるなどとは到底思わないが、彼は「鉄枠を外せば、関節を外して外に出られる」と考えた。そのために“味噌汁”を使うことを思いついたのだという。

 松材のドアにボルトで留めてあった鉄枠を外すためには、まずボルトを緩める必要がある。白鳥は毎日、朝と晩の2回、支給された味噌汁をボルトに垂らし、時間をかけて塩分で松材を腐らせ、鉄枠を留めてあるボルトを浮かせた。食事中も手錠と足錠をつけられたままだったため、彼は腹ばいになって味噌汁を口に含み、それを鉄枠に吐きかける毎日を送ったのである。

ADVERTISEMENT

 3ケ月ほど経ったころ、鉄枠に錆が浮かんだという。頭でこれを何度か押すと、ボルトを留めていた木と鉄枠の間に隙間ができた。白鳥はこれで脱獄できると踏んだ。

「博物館 網走監獄」の今野氏は、戦時下における刑務所の状況を、白鳥が敏感に感じ取っていたのではと見る。

「戦争中でどこも人手不足ですから、刑務官も例に漏れません。彼ひとりに対してつきっきりで対応するというわけにもいかないんですね。ですが逃げられては困るということで、食事やお風呂以外は手錠と足錠をされていたとはいわれています。その手錠足錠を外してくれるのが食事や入浴の時。ただ入浴の時も彼ひとりを入れるのに、他の受刑者であれば15名ごとに刑務官がついて、お風呂場に連れて行って入浴させますが、彼は特製の手錠足錠ですから、入浴させる時にそのネジを外して、終わったらまたそれをつけてという、非常に時間も取られるし大変だというのを彼は敏感に感じていたようです」