あらかじめ、手錠と足錠の留め金のナットをゆるめておき、当日の検査が終わった後に、ボルトを歯で抜いて外し、視察口の鉄枠も外したのち、両肩の関節を外してから、ここに頭を入れ、足で房の扉を蹴るようにして身体をせり上げ、舎房の廊下に肩から落ちた。ここまでくれば白鳥にとって、脱獄はほぼ成功したようなものだ。難なく天井から外に出た。
白鳥が拘束具を外したのはこの時が初めてではない。古い資料には、白鳥が外した手錠の写真が掲載されていた。
入所から2ケ月で、彼はなんと4つもの手錠を破壊したのだという。房内で解錠したのち、湾曲部を房の鉄格子に押し当てて曲げ、手を抜いている。多くの人間にとっては、この拘束具の解錠自体がそもそも困難であるが、白鳥にとっては、脱獄時の手錠足錠の解錠も、さほどの難易度ではなかったのだろう。
自分で肩を外せる
「博物館 網走監獄」では、白鳥が収容されていた4舎24房を見学できる。他の房と構造は同じだ。縦約20センチの視察口に頭を入れてみたが、わずかに隙間ができるぐらいで、あまり余裕はない。小柄な私でギリギリなのだから、ここに頭を通せた白鳥も比較的小柄だったのか。頭を通せても、肩幅がある男性なら抜け出すのは難しいだろう。本当に肩を外せるのか? 最初は疑問に思ったが、斎藤氏は、かつて『脱獄王』の取材のため白鳥に直接会い、実際にその“特異体質”を目の当たりにしていた。
「公園で何度か話をして、特殊な肉体のことについても、尋ねたんです。“自分で肩を外せる”というので、できたら見せてくれませんか、と言ったら、見せてくれたよ」
当時60代後半だったという白鳥の肉体は衰えてはいなかったと、斎藤氏は語る。
「とにかく驚いたんだけどね、松の木の根っこみたいな、ごつごつした肩をしているの。筋骨隆々とかそういう感じで。さらにね、首を回すと、音がするんだよ。そうすると肩が外れるの、ダラーンって。反対側も、クイッと動かすと外れちゃう。いや驚いたね……。痛くないかと聞くと『痛くない』と言うんだ。
しばらくして『いいですか』って聞いてきて、その後は、グッと自分で戻してね。いや私もびっくりしちゃった。なるほどこれで、あの網走刑務所の、あの狭い場所から抜け出たのかと。『首だけ出せば逃げられる』と本人も言っていたけど、こうやって出たんだな、やっぱり事実だったんだな、と実感したね」
さて刑務所が白鳥の脱獄に気づいたのは、逃走から2時間も経たない午後11時10分ごろだった。翌朝から本格的な捜索が始まった。当時の網走の様子については、網走信用金庫を退職後、網走刑務所で俳句クラブの講師をしていた山谷一郎による『網走刑務所 四方山話』にその片鱗を見ることができる。
『この兇暴な白鳥には脱獄馴れしている網走の人達も、さすがにびっくり(…)遂に網走駐屯の陸軍部隊が主となり、これに警察、刑務所警防団、在郷軍人それに一般人まで加えて約八百人が朝八時に、木下木工場の辺りに集合し(…)様々な武器を持っているので、これに筵旗でも押立てたらば百姓一揆の様な姿である。
(…)
何時何処から白鳥が飛び出して来るかも知れない、棒で草むらを叩き、隣りの人との間隔を気にしながら一歩一歩進む気味の悪さといったらなかった。この網走初まって以来の大規模な物々しい山狩りも、遂に白鳥どころか兎一匹とることもなく三時間後に終了した』(『網走刑務所 四方山話』より)
市民らも駆り出され大規模な捜索が行われたが、白鳥は難なく山中に逃げ、それから2年あまり潜伏生活を送った。