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「酒井法子がもし自殺でも選んだら…」サンミュージック相澤社長が語った“事件”の裏側とダンディ坂野大ヒットまでの苦節「売れるまでは肩身が狭かった」

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2022/07/09

genre : エンタメ, 芸能

 1968年に創業し今年54年目を迎えた芸能事務所「サンミュージックプロダクション」。

 第1号タレントは、現社長の父である創業者・相澤秀禎氏がスカウトした森田健作氏(千葉県知事退任後は同事務所最高顧問に就任)。その後、桜田淳子や太川陽介、松田聖子や早見優、酒井法子に安達祐実など数多くのスターやアイドルを世に送り出してきた。

 そのサンミュージックのこれまで、そしてこれからを相澤正久社長に聞いた。

 取材に同席してくれたのは昨年副社長に就任した、岡博之氏。現役芸人「ブッチャーブラザーズ」のリッキーさんでもある。

相澤正久社長 ©文藝春秋 撮影/深野未季

 

◆◆◆

人力舎に移籍後、養成所の先生に

――もともとはスターやアイドルが多く所属していました。そしていまはお笑い芸人が多数在籍するプロダクションのイメージが強いですね。

相澤社長(以下・社長) いちど1980年代の前半にお笑い部門を始めていました。彼(岡副社長)はもともと森田健作の付き人で、お笑いコンビ・ブッチャーブラザーズを組んでから「お笑い君こそスターだ!」(「笑ってる場合ですよ!」内のコーナー)や「ザ・テレビ演芸」で優勝もしていたんです。だからいい機会だとお笑いも始めてみたもののノウハウがなくて、長くは続かなかった。

岡副社長(以下・副社長) 僕らコンビは、人力舎に移籍しました。そこで養成所の教える側もやるようになりまして、生徒の第一号が「アンジャッシュ」でした。弟子みたいなもんですから、あの騒動のときには「アホかお前は!」って連絡しましたよ(笑)。

岡博之副社長 ©文藝春秋 撮影/深野未季

第五世代が終わりかけの頃は大変だった

社長 亡くなった会長(秀禎氏・2013年逝去)は元々バンドマンでした。当時のプレイヤーからしたらお笑いのひとたちというのは“前座”で、歌手がメインだという意識の時代。でも私はアメリカの大学留学時代にたくさんショーを観た経験から、コメディアンってすごく大事な存在だと思っていたんです。

 お笑いというのは、7年から12年サイクルでブームが来ては去っていく。1997年、ちょうどブームが去ったときにもういちどスタートさせようかと。その時に、餅は餅屋で、ノウハウを持ち元々サンミュージックにいたファミリーだからということで、岡(副社長)と山部薫(ブッチャーブラザーズ)に任せたわけです。

副社長 いまをお笑い第七世代というのであれば、第五世代が終わりかけの頃です。90年代の終わりですね。

社長 次のブームのときに2、3人世に出る子ができればと思いましたが、これがなかなか大変でした。

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