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テロリストにも似た「冷徹さ」
折りも折り、今年は田中角栄が54歳で総理に就任して50年という節目の年である。この半世紀の間、角栄は幾度かブームを迎え、政治家としての評価もめまぐるしく変化してきた。
私は拙著の執筆に当たり、毀誉褒貶相半ばする彼の破天荒な人生を改めて調べてみた。すると意外な側面に目を留めることになった。既存の価値観をぶっ壊して毛筋ほども感情の揺れを見せない、冷徹なテロリストにも似た、底の知れぬ恐ろしさである。
昭和史研究の第一人者、保阪正康の『田中角栄の昭和』にこんな件りがある。
《田中は首相在任中も、天皇に対してとくべつな感情を示していない。吉田茂や佐藤栄作とは違い、〈臣角栄〉という感情はほとんどもっていなかったように思える》
その最たるものが内奏(天皇に対し、国務大臣等が国政の報告を行うこと)である。
天皇の質問に対し、普通は政府の包括的姿勢を恭しく二言三言で答えて終わるところ、角栄は臆することなく詳細に、数字を羅列し、自らの考えも交えて徹底して語り尽くすのだという。天皇も周囲も戸惑う。当然だ。憲法上、天皇は政治に関与できない。突っ込んだ話し合いをすると批判も出てくる。しかも、内奏を終えるや「不肖田中にまかせてください」と胸を叩いてみせたとの逸話もある。
保阪は《無作為の国体破壊者》という刺激的な言葉を用い、角栄の知られざる実像を探る。