家族のちょうどいい形
私は、姉とは違う意味で、今とは違う動物になる。産んで自分がどう変わるのかわからないが、なんだかそんな気持ちになっていた。
――「土脉潤起」は野人になった姉と、友達と三人で暮らす妹を書いた小説です。妹は人工授精で三人の子供を産む決断をし、姉に会いにいきます。
村田 女性同士が性愛で結びつかずに、「じゃあ、私が産むよ」とか「今日は私が料理やろっか」とか言いながら、すごく対等な関係をつくっていく。とくに、もしも子供を育てるのであればと想像したときに、それが理想の家族のイメージとして自分の中にあるのかもしれないです。
友達と二人だと行き詰まることもあるかもしれないし三人くらいがいいかな、一人が子供を産んで仕事を休んでもほかの二人が働けば経済的にも安心できるのかな、家事はお互いがどんなふうに声をかけあってサポートできるかな、などと、三人の生活をいろいろ想像しながら書いていました。
――最後にバスで乗り合った小さな女の子が「ぽう」と鳴くのが印象的でした。
村田 子どもって言語じゃない鳴き声のようなものを発しますよね。自分にもあるんだろうけど、子供にはより、それが残ってる感じがして。私もよく「ぽう」とか言っていたし、意味を持つ前の、ただの鳴き声だったときの自分の声を思い出したんだと思います。小説の中で自然に生まれた言葉で、特に決めた意味はないのですが、自分の身体にその音が残っていたのかもしれませんね。
英語で発表されるなら書けるかもと思って
現実逃避だと言われ、笑われ、もしも「治され」てしまい、イマジナリー宇宙人たちを失ってしまったら、私は死ぬのだった。
――4番目の「彼らの惑星へと帰っていくこと」は、「私」と「イマジナリー宇宙人」のAさんの関係を書いたエッセイです。
村田 小説のようなエッセイだなと読み返したときに思いました。これは英語版の『地球星人』が出たときに、先に話に出した、ジョンさんが声をかけてくれて、アメリカの「Literary Hub」という本に関するウェブサイトに先に翻訳が掲載されました。
――「『地球人っぽく』振る舞っている」とか、「異物になってはいけない」といった感覚を抱いて生きている人には、救いになる文章だと思います。私の子どもにはイマジナリーフレンドがいるんです。本当にいるみたいで、それが彼女の助けになっているなと感じます。