「カイコウケンは最高!」
外国人であれば、世界中で翻訳されている村上春樹氏の名が出てきそうなものだが、長いブロンドヘアのこの男、相当な日本通のようだ。
雨が降りしきる10月上旬の夕暮れ時、私は米国人男性のマイク・マニンガーさん(60)と、山谷地域にある居酒屋のカウンター席に座っていた。日系英国人作家のカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した直後のことで、その話題になった時、彼の口からもう一人の作家の名前が飛び出したのだ。
「日本の友人に勧められて読んでみたけど、開高健は大好き。世界中の作家の中で一番だと思う。ベトナム戦記や釣りに関する作品などを日本語で読んだよ。彼の見識の広さや表現力は素晴らしい」
マイクは10年以上前から年に1~2回、観光で来日している。両国国技館で開かれる秋場所に合わせて渡航するほどの相撲好きで、力士について話し出したら止まらない。当然のことながら、初日から千秋楽まで全日程、かかさず通った。
「今でもテレビで初めて相撲を見た時のことを覚えている。小錦と舞の海の取組で、それから好きになったんだ。心理的にも肉体的にも高い能力が求められる伝統競技だね」
そう力説するマイクの手元の皿に目をやると、いつの間にか秋刀魚がきれいに片付いていた。残っているのは骨一本だけ。私でもこんな食べ方はできない、と思わず感心した。
日雇い労働者で溢れていた昭和の時代だったら、山谷で外国人とこうして酒を飲み交わすことはなかっただろう。
開高健の名著「ずばり東京」に着想を得た連載「50年後の『ずばり東京』」の寄稿依頼がきた時、南千住駅が最寄りの「山谷」を取材対象に選んだのは、10年近く前にフィリピンで行った取材経験が基になっている。私は当時、若いフィリピン人女性を南国まで追い掛け、無一文になった「困窮邦人」と呼ばれる日本人に密着取材をしていた。その過程で、遠く離れた日本でも貧困問題が騒がれていたことを知って驚き、2008年末に日比谷公園で開設された年越し派遣村のニュースには釘付けになった。だから、私の中で山谷への関心が沸き上がるのは自然な成り行きだった。
そこで私は9月半ばから1カ月近く山谷に滞在し、この街の空気に慣れることから始めた。宿泊先は、「城北旅館組合」の広報担当、帰山哲男さん(66)が経営する「エコノミーホテルほていや」。城北旅館組合とは、南千住駅から300メートルほど南下した泪橋交差点を中心とした下町に点在する、簡易宿泊施設の同業組合である。台東区と荒川区にまたがる広さ1・66平方キロメートルの地域に、加盟施設約140軒がひしめき合うように建っている。
山谷を南北に走る「吉野通り」と呼ばれる目抜き通り沿いに建つほていやは、5階建ての宿泊施設(全71室)で、部屋の広さは3畳。洋室と和室に分かれ、テレビや冷蔵庫が付き、Wi-Fi環境はばっちりだが、シャワー、トイレは共同である。私はこの一室に泊まり、宿泊施設のオーナーはじめ山谷に生まれ育った人々、外国人観光客、路上生活者たちの肉声を拾い集めた。かの地を舞台にした書籍や記事は数多あるが、それでもじっと腰を落ち着けてみると、意外な発見の連続だった。