各区役所に相談し、問題を起こす生活保護受給者を次々と別の施設に移送してもらった。こうして2014年春、明治時代から続く創業100年の老舗宿泊施設「小松屋」の歴史に幕が下ろされることになった。そして小菅さんは同じ場所に、カンガルーホテルの別館を建てた。
「インバウンドの需要を見込めばまだいけるかなと思いました」
本館と合わせて全30室。和室と洋室に分かれ、広さは3・6畳で、他の施設に比べやや広く感じる。シングルが1泊3600円と少し高めの設定だが、外国人を中心に宿泊客が絶えない。小菅さんは語る。
「以前はフランス人など欧米系の観光客が多かったが、現在は中国、韓国などアジア出身者が増えています。あとはシーズンになると就活中の日本の若者や大学の受験生も地方から泊まりに来ます。特に受験生は外国人の宿泊客がいるので英語の勉強にもなっているんですよ」
「よそ者」であることを痛感させられた
だが一方で街中では、昼間から酔っぱらったおじちゃんたちが道端にひっくり返っている昔ながらの姿もよく見掛ける。そこへ警察官が自転車で通り掛かると、「ここは道路ですから」と補導するのだが、厳しく咎めようとはしない姿勢に、「山谷だから仕方ない」といったような、この土地に対するある種の諦観のようなものが感じられる。人目も憚らずいきなり立ち小便をする人もいれば、コンビニのコピー機で競馬新聞をプリントする人もいて、その姿が街に馴染んでいるのが、懐の広さを感じさせる。
山谷の宿泊者約4100人のうち、大半を占める9割が生活保護受給者である。仕事がない上、高齢化で働けなくなったためだ。残りは、日雇い労働者と一般の観光客に大別される。労働者たちは毎朝、城北労働・福祉センター、もしくはハローワークの玉姫労働出張所に集まり、土木関係や公園清掃などの現場に向かう。日当は8000~11000円だ。
まだ夜が明けきらない午前5時、城北労働・福祉センターをのぞくと、男性2人が小さな椅子に座って話をしていた。声を掛けてみると、逆に「仕事探しているの?」と聞かれ、「あなたは若いからハローワークに行けって言われるよ。いずれにしても労働市場が縮小しているから、仕事があるのも東京オリンピックまでって噂だよ」と教えてくれた。
労働者の中には路上生活者もいる。多くは玉姫公園といろは会商店街のアーケードで暮らし、その数は100人弱。屋根が穴だらけのアーケードは雨漏りがひどく、撤去される予定だが、そこで寝泊まりする約35人の居場所が今後の課題だ。
私は、iPadを操作していた30代という若い路上生活者も含め、何人かに話し掛けたが、しばらくすると私が明らかに「よそ者」であることを痛感させられた。
「お兄ちゃん手がきれいだね。シャワーを浴びている証拠や」
「俺のと違って、持っているバッグが全然汚れていない」
あるいはこんな質問をされると、返答に詰まった。
「生活保護を受けているの?」
私は「受けようか迷っています」と答えるのだが、「ということは、宿代は自分で払っているのかな?」と返され、「まあ、そんな感じですね」と、ごまかしにもならないような返事をするのが精一杯だった。
そんなやり取りを経て、私は数人の路上生活者と一緒に、昼間から道端に座り込んで酒を飲んだ。ある時は古びた酒場で、小さなカウンターを取り囲むように座る男たちに交じって日本酒を呷った。
私は女性の路上生活者、恵子さん(仮名、60代)に「お酒ちょうだい!」と半ばたかられる形でそこへ連れて行ってもらったのだが、話の中で私が簡易宿泊施設にいることが周囲にばれてしまい、隣に座っていた男に膝を何度も小突かれた。
「ここにいるみんなは家がないんだ。調子に乗ってんじゃねえ!」
恵子さんもかなり酔っぱらっているようで、日本酒を2杯飲んだところで椅子に座ったまま眠りこけた。
そんなアウェーの洗礼を浴びつつも、正面切っての取材を了承してくれる路上生活者に出会った。
(「買い取り単価は1キロ130円――山谷のドヤ街で空き缶拾いに同行させてもらった」に続く)