問題を抱えた若者の受け皿になっている
山谷の街には、「旅館●●」「ビジネスホテル●●」などの屋号があちこちに掲げられている。約140軒ある宿泊施設のうち、約110軒は生活保護受給者が対象で、古民家からタイル張り4階建てビルまであり、1泊の料金は1700~2200円。残りが外国人や一般の観光客を対象にした高層マンションのような造りで、1泊2900~3600円と少し値上がりする。
今や山谷地域を歩く外国人観光客の姿は珍しくなくなった。ここはまるで人種のるつぼのようだ。増え始めたのは2000年前後で、城北旅館組合の広報担当、帰山哲男さんの弟、博之さんが経営する「ホテルニュー紅陽」がその先駆けとなった。バブル崩壊による景気低迷を受け、客足を戻そうと外国語のホームページを開設したところ、外国人観光客が殺到し始めたのだ。数年後にはマンションを改装したこぎれいな簡易宿泊施設も現れ、さらに地方の若者たちが東京で就職活動をする際の拠点としても使われ始めた。浅草署の幹部は、この街の治安について私の取材にこう語った。
「取り扱いの件数から見ても、山谷地域だから事件が多いというわけではなく、危険な印象はない。若い女性を狙った性犯罪は全くない」
暴動が多発したかつての「日雇い労働者の街」のイメージは徐々に薄まりつつある。
私が取材拠点にしていた「ほていや」にも多くの外国人が宿泊していた。日本人の夫と観光で来日したフランス人女性(61)は、5年前にも山谷に泊まったリピーターだ。
「できるだけ安く泊まりたかった。今回は東北の温泉に行って出費が多かったので、東京滞在時は抑えたい。夫と畳3畳の部屋に泊まっているが、清潔感のあるホテルだし、寝られれば全く問題ないわ」
この女性は南千住駅付近でホームレスの姿を見たというが、自国の事情と比較してこう語った。
「フランスの方がホームレスの数は多く、特に最近はシリア難民が社会問題化しています。彼らの生活環境はゴミが散らかっていて日本のホームレスより劣悪です。地下鉄の駅に家族で過ごしている物乞いもいるほどで、山谷の光景に特別な驚きは感じない」
一昔前なら考えられなかった若い日本人女性の宿泊客も増えている。
女性3人組を見掛けたので声を掛けてみると、北海道出身の大学生、専門学校生らで2泊3日で東京を訪れていた。2段ベッドがある3畳の部屋を3人で使い、1人1泊1700円という料金に満足げだった。
「とにかく安くしたかった。シャワーの水圧もあるし、受付のスタッフも親切。ホテルに長時間滞在するなら広さを求めますが、寝るだけなので問題ない。この街にはおじさんが多い印象がありましたが、特に治安面で心配はしていません」
女子高生にも出会った。16歳の彼女は、家庭の事情で地方から東京に飛び出してきたという。
「両親の関係が悪くて何もかも忘れたかった。反対する母を説得して来たの。東京だと色んな人がいそうで、自分と同じ境遇の人もいるかなと。ネットで調べてこのホテルにたどり着きました」
母親とは連絡を取っているから家出ではないにしろ、宿泊料金の安さゆえ、山谷が問題を抱えた若者の受け皿になっている可能性はある。
別の宿泊施設では、30代~40代だけでなく、20代の生活保護受給者をサポートする経営者がいる。
「精神的な問題を抱えた若い人が増えています。若い生活保護受給者を受け入れるニーズがあるのかもしれません。生活相談を含めて、彼らの自立に向けた支援を続けていく必要があります」
老朽化した簡易宿泊施設や古民家がひしめく山谷の一角に、一つだけモダンな建築物がまぎれている。コンクリート打ちっ放しの長方形のその建物は、入り口に観葉植物が飾られ、鉄製の重厚なドアを開くと、高い天井の空間が広がる。ゆったりとした黒いソファに大理石調の四角いテーブル、写真集やアート系の本が詰まった本棚、そして壁にはアコースティックギター2本が立て掛けられ、まるでカフェかと見まがうほどの洒落た内装だ。2009年に完成したこの「カンガルーホテル」は、外国人や一般の観光客を対象に営業を始めた。経営者の小菅文雄さん(51)は、道を挟んだホテルの向かいで木造の宿泊施設「小松屋」も経営していたが、そこには生活保護受給者10人以上が滞在していた。
「小松屋の方では酒が入ると日頃のストレスを発散するように暴れる人がいたり、階段から転げ落ちて窓ガラスに突っ込んで負傷するトラブルなどが相次いでいました。その度に救急車やパトカーを呼びました。極めつけは『俺は犯罪集団に属している』と自慢げに言いふらし、暴力を振るう人がいたことです。宿泊施設内が負のオーラに包まれたため、もう営業を止めようと思ったんです」