ドイツ人作家エーリヒ・ケストナーが大人のための寓話『ファビアン あるモラリストの物語』を書き上げたのは1931年。ドイツが民主主義から独裁体制に変節する「ワイマール共和国」末期、頽廃する街とそこに生きる人間を同時代人の目を通して風刺たっぷりに描いた作品だった。しかし出版から1年半後、政権を握ったナチスから「不道徳」だとして焚書された。

 それから90年。ドミニク・グラフ監督は同書を『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』として映画化し、日本では6月10日より順次公開される。

©Julia von Vietinghoff, Lupa Film GmbH

 ドイツ映画賞最多10部門にノミネートされ、作品賞銀賞など3部門で受賞した本作。名匠は何に突き動かされて製作したのか。

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「あの政治が麻痺した共和国と現在のドイツを重ね合わせたことは間違いありません。いま、あの時代への関心が急速に高まっています。でもそれはドイツだけでなくて世界のほとんど全ての場所で同じ状況だとは言えませんか?」

 第一次世界大戦の終戦から10数年後のベルリン。職安に列をなす失業者。夜を彩るキャバレーや売春婦が並ぶ盛り場。ドイツ共産党の隆盛の一方で国家社会主義ドイツ労働者党の証である鉤十字をあしらった茶色い服を纏う男たち。

 ファビアンはその街で作家を志していた。裕福な親友のラブーデは世界革命を夢見る活動家。偶然にもファビアンと同じ下宿屋で暮らすコルネリアは女優を目指しながら映画会社で働いていた。

「ケストナーの原作は、この世界の、ある瞬間を生きている何人かの人物の物語を描いています。それはジャズのように終わりのない即興演奏のようです。映画を愛している僕は自分のことを探検家だと思っています。さまざまな時代、状況、対立の中だけでなく、いろんな瞬間に入り込みどこまでも漂って、そこから何を掴みとれるかを試す探検家でありたいのです」

 石畳や石造りのアパート。ぞっとするような臭いがたちこめる曲がり角。街には壁に大書された訴えや叫び声が響く。「ドイツ共産党のテールマンに投票しよう!」「ドイツよ目覚めよ!」――。映像の探検家は1931年、そしてベルリンをも主人公に仕立てた。

「僕は警告的な映画を撮ろうとは思っていません。ファビアンはベルリンを気に入っていました。微笑みを浮かべながら『呪われている』と呼んだ都市のことを。でも、同時に不安も感じていたんです」

 犯罪、詐欺、貧困、淫ら……没落は街の至る所にあった。一体この先には何が待っているのか。ドイツを見つめ続けたケストナーは2回目の大戦から5年後の1950年に出された新版『ファビアン』のまえがきでこう述べている。

《ハーメルンの笛吹男のようなネズミ取りのあとを追って、みんな、奈落に落っこちた。その奈落に今度は私たちが、生者というよりは死者として到着し、なにごともなかったかのように、そこに順応しようとしている》――。その結末を知っていてもカメラを構えるグラフ監督は平静である。

Dominik Graf/1952年、ミュンヘン生まれ。脚本家、映画監督に加えテレビ映画監督としても活動。79年、長編映画監督デビュー。『Sperling(雀)』(96)、『Die Freunde der Freunde(友達の友達)』(2002)でドイツの最も権威あるテレビ賞のアドルフ・グリメ賞Fiction/Entertainment賞を受賞。監督作品の日本公開は本作が初となる。

INFORMATION

映画『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』
https://moviola.jp/fabian/