文春オンライン
《戦後沖縄の離島医療》東京出身の青年が“阿嘉島の神様”になった愛の物語「清純にして容色もよく人並み以上。“一目惚れ”した女性に偽装結婚を申し込んで…」

《戦後沖縄の離島医療》東京出身の青年が“阿嘉島の神様”になった愛の物語「清純にして容色もよく人並み以上。“一目惚れ”した女性に偽装結婚を申し込んで…」

#2

2022/06/23

genre : ニュース, 社会

note

東京生活をエンジョイ 「一方で妻はが暗い顔で…」

《日、一日と可愛さを増す由美子を中心に、狭いながらも楽しく生活を続ける私達は、やっと人並みな暮しができることに安心し、東京での生活を、エンジョイしていった》

 しかし、一方で妻が暗い浮かない表情をしていることが増えていった。妻を問い詰めると、涙ながらに「沖縄に帰りたい」と訴えた。

《「こうして東京で安穏と暮らしていても、両親やきょうだいのことを思うと、居ても立ってもいられぬ思いがして、毎日のように苦しんでいる。もうこれ以上、我慢して時を待つことはできない(中略)一日も早く沖縄に帰して」》

ADVERTISEMENT

 

 元をたどれば、「沖縄の親許に帰す」という条件で陸軍病院の看護婦長に認められた「偽装結婚」。しかし、当時アメリカの占領下にあり、沖縄戦で大きな被害を受けた遠く海を隔てた地に、妻を帰すことには大きな決心が必要だった。

西田さんの「妻には言えない本音」とは

 しかし、西田さんは《夫として、男として妻子だけを、そんな危険な沖縄に行かせる訳にはいかない。当然私も一緒に行くべきである》と沖縄に行くことを決心した。だが、船に乗船し、沖縄に出発する時の記述からは、妻には言えない本音を抱えていたことも分かる。

《妻のヨシは、嬉し涙を流して、大喜びしていたが、私は、満州にでも逆戻りさせられるような複雑な気持ちになり(中略)東京の空に向かって心のうちに、両手を合わせたのである》

 

 それでも美しい自然に囲まれた座間味島での生活は存外に楽しいものだったようだ。地元の人が好意で住む部屋を貸してくれたし、当初は山で木材を集めて売る仕事などをしていたため、義両親のために地元の大工たちと協力して家を建てたこともあった。

「終生忘れられない良い想い出となった」という島の人たちとの温かい交流の日々であったが、妻・ヨシさんとその家族に対する「責任」を果たし、「そろそろ東京へ帰ることを考えないといけない」と思い始めていた。

 そんな矢先、座間味村の松本忠徳村長に呼び出された。そして松本村長から、《「西田君頑張って、医介輔の資格を取り、座間味診療所に勤務してもらいたい」》と誘いを受けたのだ。

 しかし陸軍病院での勤務から数年が経っており、その責務を果たす自信が持てない。西田さんは要請を断るも、村長は食い下がった。

関連記事