中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪…“中央線カルチャー”のど真ん中を流れる「桃園川」の暗渠には何がある?
ちょうど馬橋から中野の境界にかけては、日本最初の電力会社である東京電灯の送電線が東西に2本走っており、間に細長い空き地が続いていた。桃園川の流路はこの土地を利用して真っ直ぐな水路に一本化された。
改修後の桃園川は高度経済成長期にかけ汚染や氾濫が問題となり、1967年には暗渠化され下水道に転用されてしまう。そして暗渠の上部には1969年、遊具、ボール遊び場、階段式噴水などが設けられた桃園川公園が開園する。その区間は馬橋地区より下流、つまり送電線に沿って改修された区間より下流であった。
公園はその後老朽化に伴い改修がされ、1994年に現在も親しまれる「桃園川緑道」として生まれ変わっているが、緑道の始まりは現在も区画整理された区間に重なる。緑道は川の記憶だけではなく、そこを貫いていた送電線のラインも残していることになる。
桃園川緑道は、その名の通り緑が豊富だ。整備状態もよく、カエル、カメ、カワウソ、カッパ、カモなどのかわいいモニュメントが点在している。
かつての橋は欄干が撤去されて床版だけが残り、橋名の刻まれた石柱が建てられ、杉並区独自のワニやイルカなどの動物を描いた「とまれ」のペイントが路面に描かれている。川が暗渠となっていった歴史を知らなくても、これらを探しながらの散歩が楽しめるのが桃園川の人気の理由のひとつでもあろう。
高円寺を抜け、中野へ
高円寺駅付近の賑わいを抜け東へ進んでいくと、暗渠はやがて杉並区の区界を越え、中野地区へと入っていく。その境界線は暗渠の様子の違いではっきりと目にすることができる。
杉並区内の緑道は白基調で明るく、そして手入れのされた緑に覆われているが、中野区に入るとレンガ調のタイルや、やや薄暗く背の低い植え込みなど、馬橋・高円寺とはだいぶ雰囲気の違う緑道に変わる。
そして橋跡には欄干のモニュメントが設けられ、暗渠化前の橋もいくつか残っている。
それらの橋跡のひとつが、中野通りが川を渡る地点にあった桃園橋だ。1936年に掛け替えられた、小さいながらも立派な鉄筋コンクリート橋が、川の暗渠化後も近隣のランドマークとなっていた。