いま、標高1500メートル以下の「低山」を訪れる人が増えている。

 その火付け役となったのが、画家であり、低山歩きの名人でもある小林泰彦さんが選りすぐりの山々を紹介した『日本百低山』(文春文庫)だ。本書を参考に、酒場詩人の吉田類さんが日本各地の低山を歩く『にっぽん百低山』(NHK総合)が放送されるなど、低山ブームは高まるばかり。

 ここでは、このたび電子書籍化された『日本百低山』から一部抜粋して、小林泰彦さんが選ぶ「おすすめ低山・特別編」を紹介する。新潟と山形の県境にある、ナゾの低山「日本国」とは――。(全3回の3回目/東日本編を読む西日本編を読む

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日本国(新潟県/山形県)

 時の権力者蘇我馬子(そがのうまこ)によって父崇峻(すしゅん)天皇を謀殺された御年5歳の蜂子皇子は、聖徳太子の援助で都を逃れてさすらいの身となり、のちに越の国の最果てに定住して、53歳で出羽国羽黒山で没した。

 その皇子が晩年のある時、この山に登って故郷飛鳥の方向を指差し、「これより彼方が日本国(やまとのくに)」と仰せられた。これが「日本国(にほんこく)」の山名の由来といわれる。

「日本国」の山頂は広くて快適だ。二等三角点、避難小屋、展望台があり、休憩するのに適した草地。ベンチも多数ある。時間が許せば昼寝もよろしい。©小林泰彦/文藝春秋

 また皇子の没後、大化の改新が行なわれ、蝦夷地平定の大業が進められて、越の国の要害の地に渟足柵(ぬたりのき)、磐舟柵(いわふねのき)といった柵が設けられたが、その他に幻の柵と言われる都岐沙羅柵(つきさらのき)があり、これが「日本国」と一致するという学説もある──。

 登り着いた羽越国境の山「日本国」の山頂に地元山北町(現村上市)が設置した、このような山名の由来書(長文なので筆者が略した)があり、同行者と一緒に興味津々、一気に読んだ。由来書には他の説も紹介されていたが、古代国家が生まれて間もない頃の物語のほうがイメージ豊かでおもしろいので、ぼくらは蜂子皇子伝説を支持することにした。

意外と遠かった「日本国」

「日本国」という山名を知って惹かれたのは、かなり以前のことだが、旅先としての「日本国」は遠かった。距離的にはさほど遠くなくても、新幹線も空路も高速道路も使いにくい場所は距離に関係なく不便とされる現代の日本国で、新潟と山形の県境に位置する「日本国」はいかにも遠く、しかも“遠くの低山は行き難い”ものだからようものだから、ますます遠かった。