いま、標高1500メートル以下の「低山」を訪れる人が増えている。

 その火付け役となったのが、画家であり、低山歩きの名人でもある小林泰彦さんが選りすぐりの山々を紹介した『日本百低山』(文春文庫)だ。本書を参考に、酒場詩人の吉田類さんが日本各地の低山を歩く『にっぽん百低山』(NHK総合)が放送されるなど、低山ブームは高まるばかり。

 ここでは、このたび電子書籍化された『日本百低山』から一部抜粋して、小林泰彦さんが選ぶ「おすすめ低山・西日本編」を紹介する。(全3回の2回目/最初から読む

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その1、比叡山(京都府・洛北)

 京都の街のどこからも親しく見える比叡山は、ケーブルカーやロープウェイもあるしドライブウェイが通じているから、乗り物で登る山と思われがちだけれど、実は歴史的な登山道がいくつもある。

 そこで、用事があって京都を訪れた最後の一日、思いたってその歴史的山道のひとつを歩いてみることにした。

 叡山電鉄を修学院駅で降り、白川通から東へ入った。狭い道を行くと鷺森神社の前に出て、さらに神社の北側の道を山に向かって行くと畑の中を歩くようになり、正面の山の緑が美しかった。

 少し前に都心のホテルを出たばかりで、もうこんなところに来てしまう、街と自然が密着している京都はやっぱりいいねと、いつも感じることなのに改めて感心して同行者と話し合った。

白川通の方から見る比叡山は、四明岳が頂上の美しい三角形である。©小林康彦/文藝春秋

 しっかり護岸された音羽川に出ると、少し上流の橋の脇に「比叡山登山口」という道標があった。

 橋を渡って対岸の車道を登ると、また「きらら坂入口、比叡山へ」という小さな道標があり、ようやく山道で、しかも有名な雲母(きらら)坂ということで気分も引きしまった。

 書物には、比叡山で修行していた親鸞が、京の六角堂へ日参した際に通ったのもこの雲母坂とある。千日回峰行でもここを何度となく通ったに違いないということで、そう思うと普通の山道よりも何かがありそうな気がしたが、ともあれ現在の雲母坂は滑りやすい急登の連続でまことに歩きづらい。

『太平記』ゆかりの地を巡る

 常緑の低木が多い雑木林の中を、修学院離宮のフェンスに沿ってひたすら登った。

 とはいっても低山のことで、30分ほど登ると平坦になり、離宮の境界線は左へ去り、林が切れて明るい場所へ出た。すぐ脇に「水飲対陣跡」という一読意味不明の石碑があり、『太平記』に出てくる千種忠顕(ちぐさただあき)と足利直義(ただよし)の戦跡とあった。