1ページ目から読む
6/6ページ目

 4合目を過ぎて少し開けたところで、池田湖が見えた。巨大ウナギ・イッシーはいるのかいないのか、それは伝説のままにしておきたいと思う。子どもたちが植樹したらしく、幼木に一本ずつ名札がついていた。表示を見ていくとユズリハ、アラカシといったものが多かった。山道は円錐型の山へ巻きつくようにして登っている。

 7合目あたりから、大石が積み重なる道に変わった。植生もジャングルから中・低木に交代して、気分もすっかり変わる。開聞岳全体を遠くから眺めたときに気づく、山頂より少し下の段差のところを過ぎたらしい。

 入山前に聞いたのだが、開聞岳はコニーデ型の火山の上にトロイデ型の火山が重なったものだそうで、その境界がこの段差とのこと。ならばこの大石ゴロゴロ道はトロイデ部分に入った証拠なので、自然史に手でふれる思いがして、改めて苔のついた石の表面をなでた。

ADVERTISEMENT

岩が積み重なった開聞岳山頂。名山なので、たくさんのプレートや石碑がある。「トロコニーデ開聞登山実行委員会」というのもあった。©小林泰彦/文藝春秋

 けれども大石の道は、よじ登ったりとび下りたりのアスレチックを伴うので、おもしろくもあるが、手間もかかる。また、低木ばかりなので視界が開けたり、大きな熔岩洞窟があったりと、変化も多い。景色からすると西側に回ったようだ。

 ここで、道草の多いぼくらに追いついたソロの登山者から名前を呼ばれた。ニッカーに登山靴、一本じめのトラッドなザックという正しい登山姿の中年の紳士で、雑誌で顔を見知っているので、と挨拶されて大いに恐縮した。こちらはTシャツ、デイパックにローカット靴といういでたちなのである。3度目でようやく天気に恵まれ登れました、とのこと。「百名山」が完成間近なのではと拝察した。

巻き貝のようならせん状の登り下り

 再び池田湖が見えてきて、9合目である。さらに大石ゴロゴロ道は東から南へと次第に円を縮めて巡り、鳥居と祠のあるところで、ようやく山頂に達した。

 低木にかくれるようにある神社は枚聞(ひらきき)神社奥宮、御岳神社とある。祠の上に岩の重なりがあり、二等三角点のほかに、プレートや石碑がいくつもあった。

 見晴らしは言うまでもなくすばらしい、と言いたいのだが、折からガスが去来し始め、足もとの海岸線や池田湖あたりがやっとという程度だ。風も強まり、急いで上衣を着る。やはり海からいきなり実質1000メートル近く登る独立峰は厳しいものだねと話した。

 けれども、ともかく数十年間思い続けてきた山頂は急には立ち去り難く、風を避けた岩陰で茶を淹れ、またあたりを歩き回り、開聞岳の印象を拾い集めた。

 ポツリ、ポツリと雨が当たり始めたのをしおに、山頂をあとに、登ってきた道を下った。ちょうど巻き貝のようならせん状の登り下りが、開聞岳登山の独特の味わいになっていると思った。(1992年春)

INFORMATION

全国津々浦々にある「低山」の魅力を凝縮した『日本百低山』(小林泰彦 著、文春文庫)電子書籍版が発売中です。

 

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。