負担の大きい無理な練習はさせない一方で、「高校の次」のステップで必要になるであろう技術も伝えた。
木村沙織は高校時代、ポジションはミドルブロッカーだった。ミドルブロッカーの攻撃面での主な仕事はセンターからのクイックだが、小川はあえて高いトスを打つ練習を課した。
「高校の試合で勝つために手っ取り早いのは、背が高い子をセンターに置いてブロックとクイック、背が低くても上手な子をサイドにするというもの。練習でもその役割だけを練習させれば、効率よく勝利に近づくことができます。小学生の強豪チームなどがよくそういう練習をしています。しかしその方法では、身長があってサイドで打てるエースは育ちません。高校では通用しても、世界で戦うためにはサイドでも大きな選手が必要なんです」
木村沙織は日本代表ではアウトサイドヒッターとして活躍したが、その土台は下北沢成徳での練習で培われたのだ。
小川が将来のために重視したもう1つが体づくりだった。専門のトレーナーを雇い、気合や根性ではなく、理論と計画に基づくトレーニングを行った。時には女子バレーのアメリカ代表監督やVリーグで監督を務めていたセリンジャーに教えを乞うこともあった。
「セリンジャーに言われたのは、『バレーの選手の体は陸上の400mの体に近い』ということ。バレーのパフォーマンスを上げるのに、100m選手の体では太すぎるし、800mではちょっと細い。瞬発力と持続力のバランスが400m走くらい、ということです。そこで練習に400m走を取り入れたら、スパイクも速くなった。これはどんな本にも書いていない発見でした」
『いや、それは違います』と、ぴしっと言う荒木絵里香
小川は、下北沢成徳を卒業した選手1人1人について、驚くほど詳細に記憶している。荒木絵里香についてはこんな様子だ。
「荒木はバレーボールを始めたのが小学5年生からと遅くて、中学でもそこまでガツガツやっていたわけじゃないので、入部してきたときの技術レベルはそれほど高くありませんでした。ブロックで横移動するといつも倒れていました(笑)。でも、運動能力は文句なしに高い。倒れる時も空中で上手に体を逃がして着地していることに気づいた時は驚きました。あの体格でマット運動も上手ですし、短距離も速かった」
後に日本代表で主将になる片鱗もすでにのぞかせていた。
「闘志で周りを引っ張るタイプで、監督としてはとても助かった。監督の言うことになんでも『はいはい』と従う子も多いのですが、荒木は納得していない時ははっきり顔に出る。そして『いや、それは違います』と、ぴしっと言ってくる。そこから、じゃあどうしたらいいかという話し合いができるんです」
荒木と同級生だった大山は性格的には真逆だった。
「大山は小学校と中学校で全国優勝を経験して入ってきたんですが、優しい性格であまり主張が強いタイプではありませんでした。実は運動能力も低くて、5段階で言えば『3』くらい。一度本人に『2かな?』って言ったら『3にしてほしいです』と言われたので。あの時は珍しく主張してきましたね(笑)」