2002年に入学した木村沙織は、性格的には大山に近いタイプだったという。
「表面は欲のようなものが出ない子ですが、バレーボールが大好きでしたね。相手に勝とうということよりも、どうやったらうまくいくか、どうすれば失敗しないか、探究心のようなものが強い。実は中学生になった頃は身長が162cmくらいでしたが、高校入学時点では178cmまで伸びていました。中学以前で身につけた小さい体をいっぱいに使う方法が、背が伸びてからも生きていた。だからディフェンスもレシーブもうまかったんですね」
そして木村の性格の一面を語る。
「一度も怒った顔を見たことがないし悪口もひとつも言わないし、見た目は静かに思えるけれど、根性はすごかった。春高バレーの決勝で、捻挫した足を気にする様子もなく試合に戻ろうとしたときは驚きましたね」
下北沢成徳の卒業生たちは次々と日本代表に入り、東京オリンピックでは、荒木に加え、黒後愛(2014年入学)、石川真佑(2016年入学)も出場した。
「黒後は入学してきたときから日の丸をつける選手だなと思いました。繊細だけど明るさ、天真爛漫さが持ち味でした。その良さをどうやって消さないか、伸び伸びと育ってほしいと願っていた3年間でした。
印象深いのは3年生になっての変身ぶりです。チームのキャプテンは別にいたのですが、コートの中ではキャプテンの役割をしていました。責任感が強くて、気が抜けた選手がいると『手を抜くな!』と気合を入れる。勝負への執着心、仲間を叱咤激励して先頭を走る姿勢、闘争心でチームを引っ張る役割でした。2年生まではのんびりした性格だったのですが、上級生になって一気に成長しましたね」
「実はオリンピックはあまり見ていないんです」
石川についてはこう振り返る。
「石川は名門の裾花中学校から来ました。基礎をしっかり叩き込まれていて、高校レベルでもすぐ活躍できる技量がありました。しかも長距離走、中距離層、短距離走どれも速い。ただ中3の時に身長が172cmくらいしかなくて、誘われた13校のうちいくつかからはセッターを打診されたようです。私は彼女がVリーグで活躍するアウトサイドヒッターになれると思ったので、『3年間で最高到達点3mを超そうね』と話していました。そして高校2年生の後半には超えていましたね。
性格的には黒後とは正反対で、自分の感情をコントロールして表に出さない。仲間を言葉で引っ張るわけではないけれど、しんどいことでも淡々と、そして精一杯やる。それがほかの選手の見本になっていました」
東京オリンピックでは、荒木、黒後、石川の3人がコート上で並ぶ場面もあった。
教え子が代表チームの半分を占める風景は下北沢成徳高校の、そして小川の長年の指導が間違っていなかったことを証明するものだ。誇らしい気持ちで見ていたかと思い尋ねると、小川からは何とも“らしい”答えが返ってきた。
「実はオリンピックはあまり見ていないんです。ちょうどインターハイと重なっていて、そちらに集中していましたので」